オーガニック&ナチュラル ポラン広場東京の集い2017 報告集

第1部 「有機農業の技術的な問題」

京都大学農学博士 西村 和雄 先生 講演

西村和雄(にしむらかずお)氏

1945年、京都市生まれ。京都大学農学部修士課程修了
(財)環境科学総合研究所、京都大学助手、同大学フィールド科学教育研究センター講師を経て、2007年退職。京都大学農学博士

著書
『おいしく育てる菜園づくりコツの科学』(七つ森書館 2006)
『野菜を見分けるコツ百科―おいしい ほんもの』(七つ森書館 2009)
『有機・無農薬でできる 雑草を活かす! 手間なしぐうたら農法 増補改訂版』(学研パブリッシング 2013)
『ぐうたら農法 病虫害がなくなる土の育て方』(学研パブリッシング 2015)
『増補版 スローでたのしい有機農業コツの科学』(七つ森書館 2014)
『西村和雄の有機農業原論』(七つ森書館 2015)  など

  • 講演で使用したスライドショーの画像を文中に挿入しました
    ただし、一部省略したものや、文章からなる図については一部編集したものがあります

はじめに自己紹介もかねて、いきさつを述べていきたいと思います。私は難しい専門用語を使って、農業についてしゃべるのは昔から苦手でしていません。なぜかといいますと、学生時代に読んだ、筑摩書房から出ている本で、〈なだいなだ〉という著者の『人間、この非人間的なるもの』という本の冒頭にあった文章に惹かれたからです。私は専門用語は一切この本の中では使いませんという風に明言されていました。なぜかというと「専門用語でしか自分の専門の中身をしゃべれないのは自分が理解してない証拠だ」。そういうバチンと衝撃的な一文があったのですね。それ以来、私は普通の言葉で自分の専門のことを喋らなければいけない。それが、自分がほんとうにわかっていることにもつながるのだということを肝に銘じたのです。学生時代にそんなことがあって、その時はまだ私は本を書くようなことになるとは夢にも思っていなかったのです

卒業して7~8年してからです。京都から近くの大阪よりに枚方というところがあって、そこの評判のよい手相見のおばちゃんに見てもらいました。そしたらその人がいきなり、私の手を見ながら、あなたは本を書く才があると言いました。でもまったくその時、私は本を書く才能はなかったんですよ。だからこんな手相見インチキじゃないかって、すごく思っていました。しかしまさか、こんなことになるとは思ってなかったのですが、今もう8冊くらい書きました。その中身についても、私は専門用語は一切使いません。そういう言葉を使うことが、私は嫌いなのです

次にこれは最近のこと。今年はほんとうに雪が多かったですね。私、実は20年前に京都中部の中山間地の田舎に行き有機農業を始めました。私はそれまでに知っていたことがありまして、カマキリの卵はその年の最大積雪量の上にあるということで、それだけは前から知っていました。そして田舎の地域でもう一つ教えられたことがありまして、それはお茶の花がたくさん咲くと雪が多いといういわれです。私はお茶の花の話を聞いてから、カマキリの話と組み合わせてどのような意味があるのかと、しばらく考えました。そしてその次の年からずっと毎年、降雪量を予想し予言していました。そして予想が見事に当たるようになったのです。そのわけを、ちょっと説明します

たとえば、私が野菜を作っていた小さい畑(一反ばかりの1000㎡くらいの畑ですが)、そこで始めたときに、ある年にカマキリの卵が地面から25㎝くらいの枯れた草の上に卵を産みつけました。そしたらそれは雪が少ないって信号ですよね。ところがお茶の花がその年にかなり咲きました。それはさっき言ったように雪が多いっていう信号でしたね。これは矛盾しているなって思いました。そこで1週間ほど考えたのですが、ぱっと答えが浮かびました。頻繁に降るけれども、すぐ消える。わかります? それも雪が多いってことですよね。多いっていうのが、どかっと降るか、頻繁に降るかというのは別の問題です。次の年には畑の支柱80㎝くらい上のところにカマキリが卵を産みつけました。それを見て私はその年の除雪の当番に言いにいきました。「ドカ雪降るぞ~」って。その時は「そんな嘘言って」と笑われましたけど、ほんとうにその通りになりました。カマキリの卵を産みつける高さは必ず雪の上ということですね

それからお茶の花がたくさん咲くか咲かないかっていうのは、これは雪が多いっていう信号です。その2つを上手いこと組み合わせて考えたら雪の対策も立てられるわけですよ。自然のいろんな事象からそういうことを学べば面白いなあと、その時初めて思いました。また後に出てきますけれども、露木裕喜夫さんという方が日本有機農業研究会におられた時に(直接お目にかかってはいませんが)自然を観察しなさいってみんなに言っておられたそうです。自然の中に有機農業のヒントが必ず隠されているのだということをずっと言われていました。そしてその通りのことを私もずっとやってきました

大学はかろうじて京都大学に入学しました。入学したのですが、結構アホでした。まず入るのに二浪しました。そして農学部を志望しました。なんで農学部だったのかという理由は、合格最低点が一番低かったからです。ほかの学部だったら入れない、非常に単純な動機でした。私が大学部の四回生のときです。大学紛争が始まって、私もそれに積極的に参加しました。そしたら投石が脚に当たって、今でも脛に古傷があります。そのとき2冊の本を読んだのがきっかけになって、私はこの有機農業の世界に飛び込むことになりました。そのひとつが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』、もうひとつがローマクラブからでてる『成長の限界』という本です。『成長の限界』には地球の自然資源、つまり石油は何年くらい今の消費量だったらもつか、鉄はどれくらいなのか、鉄鉱石はもつか、銅はこんだけ、そんなことがずらっと書いてある。これから資源がなくなる、我々はどうすればよいのかということを今から考える必要がありますということを、きちっと書いてある本でした。読んで衝撃を受けたことを覚えています。この2冊の本がきっかけで、今まではよかっただろうけど、石油、石炭などの資源を掘りまくっていたらもう先見えているじゃないかと思いました。なんとか自然の資源を上手く再生利用可能にして使っていく方法、我々の食料を確保する方法を考えていました。そこで私の焦点が絞られました。そのあと出会ったのが自然農法でした

大学を卒業して1年間は大手企業に勤めました。やっぱり有機農業やりたい、自然農法やりたいと思って、大手企業を1 年で辞めちゃいました。卒業して半年目に結婚して、妻が妊娠しました。その最中に大手企業を辞めちゃったので、親戚中から総スカン。親からも勘当されました。それ以来悪戦苦闘しましたけれども、自分で勝手に専業で有機農業を始めたっていっても過言ではないと思います。それで今に至っているわけです

有機農業を始めたのが1972年、それから今までやってきて、今身体がかなり壊れかけています。まあ無茶苦茶に突っ走ってきたので無理もないですが20年前に、すい臓がんになりました。医者からあと2年でお仕舞だと宣告されました。死刑宣告です。その時どうしようかなと思っていたのですが、とある方にすがって治りました。2ヶ月半で消滅しました。その後、日本を飛び出しまして、私は大学ではマングローブの仕事もしていたので、かなりの国へ行きました。アジアは中国を除いてほぼ全域行ったと思います。当時、まあまあ危ないところも行きました。それこそ、どこでもできる有機農業でなければいけないって、勝手に思いながら歩き回っていましたが、無茶がたたりました。今から6年前、大腸から2リットルも出血しまして、私の体重から計算したら体の3分の1の血があっという間に下血しました。救急車で運ばれて、すんでのところで助かりました。それが2回目の危なかったことです。そのあと1年後に、高知県で有機農業の話をしてくださいって言われて、車にのって徳島道を走行するさなかに、脳出血をやったのです。脳出血は脳幹部でした。大脳から神経の束が首へ出るところ。私はそのことに気がつかないままに、高知県に行ってぺらぺらと3時間ほど喋ったのです。そのあと主催者と飲みに行き、4合くらい飲みました。自覚症状がなかったから無茶苦茶ですね。その晩宿に泊まって翌日早朝に高知を出て、家に帰ったのです。家に帰ったら妻が私の顔を見て、顔がおかしい、顔の半分がだらっと下がってる、これ、頭がおかしいよって言うので、ついつい頭おかしいのは昔からやろ、なんて言ったんですが、翌日に病院へ行って脳神経外科を受診したら、そのまま即入院。その時の医者いわく、よくこんな状態で生きてたな、普通半分の人が即死、半分が半身不随だって。こうやってお話ししていても、話に違和感はないと思われるでしょうけども、少し滑舌が悪くなりました。そして奇跡的に退院して、そのまま今に至っているわけです。現在脳出血の場所が4ヶ所と脳梗塞が10ヶ所ありまして、頭の中はすきまだらけです。それでもまだ生きてます。もうそろそろだめかなとは思っていますけれども

本題にうつる前に・・・
「花と野菜」という京都のタキイという種苗会社の会員誌に配布する機関誌に2年間、有機農業について連載していました。また、今度5月に13種類の緑肥作物について述べたものが載るので、ご参考までにどうぞ

本題に入ります。農水省は有機農業という直接的な名称は癪だということで「環境保全型農業」ということを言っていますが、「環境保全型農業」なんてことを考えている暇があるなら、もうちょっと漢字の前後を入れ替えてみたらどうなのだろうと思います。「環境保全型農業」よりも、今は農家という言葉が絶滅危惧種になりかけているので、「農業保全型環境」のほうが言葉としてぴったり合っていると思います。ということで有機農業はまだ問題を抱えていると思います

有機農業の沿革についてです。1971年に日本有機農業研究会が一応定義を作りました。ただ、彼らは文科系なので、理科系の技術的な問題のことはまったく抜きにしていました。それが今となっては大きく響いているのかなと思います(図1)

ただ、その時集まった理事たちの中にはすごい人もいました。梁瀬さん、奈良で無農薬を自分から始めたお医者さんです。それから若月俊一さん。この方は、佐久総合病院をつくって、農村医学研究所もつくり、当時あるいはそれ以前にホリドール(猛毒の有機リン剤)が使われていた時期に、体に飛散した農薬過で苦しんでいる方を随分ここで面倒を見られたそうです。この方の病院に一回行きたいです。ここに、若月俊一さんが作ったピンコロ地蔵があります。私もピンピンしたままコロっきたいので、ここにお参りしようかなと思っています

あと、何回もお会いしましたが、築地文太郎さんです。この方は、私がお会いした時に「私、胃ガンなんです」とおっしゃっていました。私はもうこれしか食べられないんですって言って、どこの会合に行っても玄米のおにぎりを食べておられました。あと、横井さんですね。そして私がものすごく尊敬している露木裕喜夫さんという方です。私はこの方には直接お会いしていません。ご存命のときにはお会いできず、あとでこの方の遺稿集を読んだ時に、この人は私が考えていたことと同じことを、ずっと前に言っていたんだって実感しました

有機農業とは何を意味するのかという明確な説明がなされなかったことが、その後、いろんな問題が出てきた理由になっています。それは、「〇〇農法」というのが雨後の筍のごとくニョキニョキ出てきたことなどが挙げられます。有機農業って、なんでしなければならないのか私も色々考えました。「環境保全型農業」ではなく、「農業保全型環境」を作らなければならない。つまり、現代農業のような環境に負荷をかける農業生産方式とは異なって、環境を豊かにする農業を目指すことです。石油、資源の枯渇に対応するとともに、炭酸ガス増加をも視野に入れる。こういうことを絶対にする必要があると思います

それから「安全安心」という言葉がそこら中で安易に使われていますが、これは単なる標語としてしか意味をなしていません。私が言いたいのは、安全と安心という意味を明確にすることです。何に対して安全で、何に対して安心なのか、という風にきちっと説明責任を果たしてくれということです。もうちょっと具体的に考えますと、目前に迫りかけている環境や資源問題に農の立場から対策をたてるということです。限界集落の解決法策定や食糧の自給問題、2030年問題などです。石油は、2030年になったら先が見えています。ほかの石油もありますが、深海底にあったりして今度は掘るのにものすごくお金がかかって、結果的に採算に合わないようになります。あとは人口爆発です(図2)

今72億人いる世界中の人間が平均してどれくらいのエネルギーを使っているかというと、人間一人当たりが、体重3トンの象と同じだけの基礎代謝エネルギーを消費しています。世界中に72億頭の体重3トンの象がいると考えてみてください。もう世界中ぐちゃぐちゃです。それを何とかしなければならないという話です。最後に資源枯渇の問題です。ローマクラブ以降、まともに為政者は考えていません。来るべき資源枯渇の時代に対処して、我が国でも、持続可能な農業の未来図を設計することが求められています。そのために、まずは伝承技術や民間技術を掘り起こして農法を確立すること。これは緊急にやらなければならない。これを世界に先駆けて、私たちがきちっとやれば、22世紀をまともに迎えられると思います。でなかったら、もうだめだろうというのがいつも思っていることです

挙げられるだけ挙げてみました、有機農業の別名です。炭素循環農法。自然農法。自然栽培。ゴチャゴチャと、くだらん、そして似て非なるものがややこしい名称でいくつも。そんなことなら有機農業一本にしろ、と言いたいのです。こうなってしまったのは、1971年の日本有機農業研究会のメンバーが有機農業の定義をきちんと作らなかったからです。ややこしくなった理由は、文学的ではなくて、科学的なサイエンスとしての有機農業の定義、そういうものを作らなかったということが原因だと思います。だからモドキの名称がたくさん誕生するきっかけを作ってしまった。これは私自身もこれまで気がつかなかったことなので、反省しています。ではなぜ定義が必要だと気づいたのか、それは以下のような事実を知ったからです

作物の生産を支えているのは土壌の肥沃性です。つまり、土壌の生態系です。そして、土壌の生態系を支えているのは、地球に到達する分量だけのエネルギーの源泉である太陽エネルギーのみです。私たち地球上の生物すべては、地球に降り注いでくる太陽エネルギーの範囲の中でしか生きられませんという話です。だから、地球全体を支えている太陽エネルギーがどのようにいろんな生物に行き渡っているのかを知ることが大切なので、いってみれば地球生命圏とでもいうべきものを考えなければならないということです。地球生命圏という言い方はラブロックという人が使っています。ラブロックっていうのは、イギリスのものすごく頭のよい人です。『地球生命圏 ガイヤの科学』という本が、工作舎から出ています。もしご興味ある方は、読まれたらよいと思います

地球生命圏の中で、重要なキーを握っているのはほかでもなく人類です。人類が考えねばならないこと、それはエネルギーがどのように循環して誰がコントロールするのか、という問題です。つまり、持続可能で再生エネルギーを上手く使うような食糧生産体系を構築しなければならないということです、早急に。それが有機農業に託された重大かつ緊急の課題だと思っています

個々の現象となって表れるものの要因さえ突き止めれば、問題は解決できるんだという単純な考え方は、還元主義とか、要素主義といいます。こういう考え方で我々は今までずっとやってきました。病気になった、そしたらこの薬飲め、それで治ると思っているのですが、私は違うと思っています。まず、薬を飲む前に健康な身体作りのほうが大事だと思っています。私が3年前から実行している食事療法がありまして、療法というよりも朝飯にそれさえ食べたら、むちゃくちゃ元気になる方法です。実は私の動脈硬化、それも今全然ありません。血のめぐりもとってもよくなりました

3年前に大学のワンダーフォーゲルの同窓生に会ったのですが、その時言っていました。「お前3年前に見た時、もうだめかと思った。それが3年間でその顔色、ピンピンして元気になって」と言われました。その秘訣は何でもない簡単なことなのですが、そういう食べ方がありまして、それも時間があれば言います(第2部で お話されました)

個々の現象の要因が解明できても、その要素すべてを集めたところで、生き物がなぜこれだけたくさんの種類にわたって存在する必要があるのかという疑問には誰も答えられません。そこに、要素主義・還元主義の破綻があります。個々の要素の集合、つまり寄せ集めは、単なる集まりになるのではなくて、要素を全部集めたその和が生物を作っているわけです。だからそれは一段階上の存在なんです。私たちヒトもそうです。だからそういう科学をしなければならないと思います。それが生物なんですから、難しいことはもう言うのやめますけど、生物は物理や化学、科学の寄せ集めでは説明できない。なぜなら、生物は意思を持っている存在で、生きている存在だからです。ここは大事なところです。その生物が集まっている世界が生態系であり、別の言い方をすれば、「環世界」だと思います。「環世界」というのは、エストニアの方だったと思いますが、面白い本『生命の劇場』を出していて、ユクスキュルという生物学者です。生物っていうのは、自分が会合する範囲っていうのがある、それぞれの生物に。それは、木でも草でも人間でも昆虫でも鳥でも全部そうです。それが多重に重なりこの世界を作っているのだという考え方です。だからその影響の範囲を人間中心的に考えないで、ほかの生物も一緒に考えてあげよう、というのが有機農業の世界なのですよ、という風に言い換えてもいいかな、と私は思っています

日本はかなり恵まれた国です。これは私が調べたことの中身です。黄砂が飛来して国内に落とす養分、リンという大事な養分について調べました。10a当たり、1年間で8gあります。1ha当たりで80g。空からただで降ってきます。もうちょっとしたら春になります。そしたら黄砂が飛んできますね。車のフロントガラスが汚れます。これを「ちっ!またか」と思わないでください。有難いこと、と拝んでください。肥料がただで降ってくるのですよ

雷一発で十数キロの窒素作物になるんです、窒素ガスが。だから雷という言葉は、雨冠に田と書きます。稲妻ってどんな字書きますか?稲の妻です。稲光って稲の光って書きますね。昔の人はわかっていてこういう漢字をちゃんと選んでいるのですね。昔から雷の多い年は豊作だと言われておりました。肥料が降ってくるからという話ですね。だから、水が多いし雷が多い。黄砂ががんがん降ってくる。そういうものを上手く利用するのが有機農業の一つのタイプである低栄養成長型の自然農法だと思っています

日本は水の国です。水ばっかりじゃないですか。水臭い、水入らず、水もしたたる、水入り、水にする、って全部水です。びちゃびちゃなんです私たちの国。ちょっと調べただけで、こんだけありました。霧雨・小糠雨・糸雨・俄(にわか)雨・雷雨・五月雨・梅雨・春雨・氷雨・時雨・通り雨・煙雨・細雨・慈雨・長雨。こんなに雨が降ってくる。ただ単に水が降ってくるだけです
けれども、これだけ色々な言葉で表すだけの、細かい分類ができるような国に私たちは生まれています。それだけ雨に対する感性が豊かな国に住んでいるのです

マラウィ、アフガン、ヨルダンに行ったときの話です。ヨルダンで見たオリーブの木、古木です。(画像1) とても大きい木です。キリストの聖地って所に全部行きました。その時に、エルサレムの神殿を見ながらキリストが丘の上でエルサレムが滅びるのを予感して、そこで涙を流してもたれかかったといわれるオリーブの木がまだ今も現存しています。2000年前です。どれだけ貴重な木かわかるでしょう。世界遺産になるのではないかと思います。こんな古木が残っているのです。あっちこっちのヨルダンで、そこら中で見てきました。それをイスラエルの軍隊がチェーンソーでぶった切ったりしていました。腹立ちますね

オリーブの天敵はミバエです(画像2)。オリーブの中に入ってきます。何もしなければミバエが発生してウジ虫でいっぱいになって油を絞れないので、それを退治するためにオリーブとソラマメを混作します。ソラマメにはアブラムシがつくのでそのアブラムシを食いに捕食昆虫が飛んできて、そいつがついでにミバエも食べてくれるので上手いこといくという話です。こういうことが上手くやるコツですね

今度はアフリカのマラウィです。この子(画像3) 見てください。足ガリガリで栄養失調ですね。ここに行ったとき、ホテルで朝食のサンドイッチを渡されて、「絶対に村人がいる前で食べたらいけないよ」って言われました。「襲われます」って。襲撃されますね、飢えているから。そういう所ですよ。そこで考えた方法です。アフリカの大地は貧栄養です。カルシウム型のリンが少ないです。要するに、カルシウムにくっついているリンっていうのが少ないのです。ほとんどの植物が吸収するのがカルシウム型のリンなので、それがなくなったらもうお仕舞というわけです。なので、リンと鉄が結合したものをうまく利用できればよいのかな、と思っています。水になかなか溶けないので、それをうまいこと溶かして吸収できる植物をトウモロコシと一緒に植えてやる。そしたら、鉄とくっついているリンを上手いこと吸収できるっていうわけです。そしたら、トウモロコシはもっと増産できるというわけです

次はこれです(画像4)。キマメ(pejyonpea)っていうのを混作するわけです。キマメっていうのは、鉄とくっついているリンを吸収できるので、トウモロコシも利用できる。そしたら生産がもっとよくなるだろうと。何にもしなかったらリンの結合が起きて、収量ががくっと落ちる。だからこのキマメっていうのを上手いことして、もっと現地の人が食べたら栄養がつくのではないかと思いました。そのときに納豆というものを昔FAO(国際連合食糧農業機関)が作ろうとしたことがありました。あれ他所の民族には臭いですよね、それで、利用できない、と諦めていたのですが、諦めなくてもよいじゃないかと私は思いました。テンペっていう食べ方があります。テンペっていうのは臭くない納豆です。インドネシアにあります。それを上手いこと使ったら、アフリカの栄養失調で膨らんだお腹の子供たちにもちゃんと栄養がつくのではないかと、私は言っています

アフガンです(画像5)。これもうむちゃくちゃです。これですよ問題は。誰が潰したのか、ソ連のアホたれですわ。これは(画像6)ピジョンタワーです。日干し煉瓦で穴を作って、煉瓦を積んで、ここに鳩が住み込んだら、鳩は村から飛んでいってあっちこっちで餌をついばんで帰ってきます。そしてここにフンをするわけです。そのフンを集めて、ブドウや小麦の栽培に、昔から(2000年以上前から)ずーっと、アフガンの人が使っていた。それが昔からの伝統的なこの乾燥地帯の農法だったわけです。それを、ソ連のアホたれが、攻撃して潰したのです。その中の鳩はみな、焼き鳥ですね。腹立つわ~ほんとに、もう泣きそうになりますね、こんなの見たら

これがピジョンタワー(画像7)。がれきです。鳩は1羽もいないという状況です。ここの子どもたちのお父さんは全員戦死でお母さんは全員強姦されてるんです、ソ連兵に。むちゃくちゃです。めちゃくちゃ腹立って帰ってきました

マラウィ、ヨルダン、アフガニスタンでもやっぱり、ちゃんと伝統的な自然を上手く利用した農法があるはずです。それを掘り起こして利用しないと持続的な農業にならないだろうと私は思う。だから私、考えました。資源を無駄に使うことにならないように、その土地にあるありふれた自然の資源にどれだけ注目してそれを上手く活用できるだろうかということを。我が国の有機農業を進めた先人、露木裕喜夫さんは、「自然をよく観察せよ。豊かな自然にこそ、有機農業のヒントが隠されてる。それを見つけなさい」ということをずっと言って、全国をまわっていたそうです。だから私は、豊かな感性と洞察力、そして自然を畏怖すること、そういう謙虚さが有機農業をする人には求められるのだと思っています

これが私の作った有機農業の定義です
「有機農業(自然農法含む)は、農地および農地を取り囲む周辺の自然生態系(耕耘(こううん)・移植など、ある程度人工的な撹乱は受けているが)に賦存する自然資源(土壌中の生物・土壌および有機物と地上の生物など)を、有効かつ効率よく利用することによって作物生産を可能にする農業形態」だというのが有機農業の話です。これはどこでも通じる話だと思います

賦存する自然資源というのは、どこにでも転がっている、目には見えないかもれないけど、どこにでも転がっている自然資源が豊かにあるということ。それをちゃんと上手く掘り出して、利用できる格好にしろ、ということです。賦存するとはそういう意味です。元から存在している、という意味だと考えてください。つまりその目的は、薬物を使わずに病虫害から作物を防御するか、作物自身の抵抗力を高めて、耕地生態系が自律的に機能するような栽培・圃場管理などの方法を構築して、持続可能な農業生産をしようとすることにある。要するに自律的にというのは、自分で勝手にやるもの。自律神経のような自分で自分をちゃんとコントロールしてくれる、というそういう意味です。それが、ほんとうの有機農業だと私は思っています

したがって、耕地生態系の自律的機能を阻害、あるいは撹乱するような、合成化学物質である農薬類や化学肥料は、その使用を一切禁じる。これが、農薬と化学肥料を使ってはならないというほんとうの意味です。自然の生態系の機能を撹乱してしまう。そういうことをしていたらだめだろう、という話です。作物の栽培にあたっては、前段階としての土壌の健康管理、ウェルネス(wellness)ですね、これを考慮する必要がある。健康管理です。ひいては作物の健康管理になり、作物を通じて家畜あるいは人の健康管理にもつながってくるものであって基本的なことだということです。命なので全部つながっています

なお堆肥・ボカシ肥・畜糞堆肥など、収量確保を目的として耕地に有機物を施用する場合、作物の収穫や増収を大きく期待するような投与方法や投与量は、それ自体が耕地生態系の撹乱を招来する、引き起こすことになる。だからやめろと。作物自体の代謝を乱し、食味や調理時に不要な副次効果を生み出す。腐りやすいというわけです。日持ちが悪いということになりかねない。そういうことはやめなさいという話。だから、量的に過剰と思われるような施用は望ましいものではなく、耕地生態系の維持や自律的な機能の円滑な稼働、自律的な機能がちゃんと動くような量で充分です、という風になります

ただし、慣行農業から有機農業に移行する場合には、一時的に作物に過剰な栄養をもたらすような、資材に依存した肥培管理も時には必要とされる。しかし投与を継続していく必要はなく、耕地生態系が円滑に機能するようになれば、投与量は相当量低減できるということです。減らしていっていいわけですね。あとは自動的に回っていきますから。ちょうど自転車に人乗せて後ろから押したら、あと勝手に走り出すのと同じだというわけです。そこまでいったらもういいでしょう。適切な養分としては、かなり限られてきます。循環して、栄養をコントロールしてくれますから。というのが私のいつもの言い分です(図3)

そのためにやるべきいろいろな技術があります。間作・混作・輪作。それから植物を上手いこと使う、バンカープランツ・カバープランツなどですね(図4)

間作というのは、一つの作物が終わりかけたら、もうそこに種をまいておくっていう方法です。連続して作物をずっと採っていく方法です。混作というのは、同時に複数の作物を作ることです。私いつもやっています。たとえば、トマトを苗で植えます、平畝です。ちょうど幅が1m高さ70cmです。私は、非常識な人間ではありません。無常識な人間です。常識がありません。常識がない限り自由な発想で色々考えられます。混作というのは、複数の作物を同時に植える。だから、今いったようにトマトを植えます。そしたらトマトをはさんだ両側に蒔くのが大豆です。いっさい雨よけはしません。なぜかというと大豆が水好きなんです。大豆が全部、トマトの根の部分の水分をとってくれます。そしてトマトが元気に育つわけです。雨よけも何もしていません。そういうことを混作といいます。たとえばキク科の作物は、あんまり虫がつきません。あの匂いが嫌いみたいです。なので、一緒に必ずレタスとか春菊とか蒔きます。結構いけます

バンカープランツというのは、畑の一角を野草が勝手に生えるようにしておくんです。バンカーっていうのはどういう意味かといいますと、銀行屋さんと同じことです。貯めてくれる、いろんな虫やカエルを。一角にバンカープランツっていう野草を生えたい放題に生やしておくと、そこからいろんなやつが出て来て、ややこしい虫やらをすべて食べてくれます。だから、ある被害以上にはならないということですね。私の畑にはマムシもシマヘビもいました。2匹とも、いつみてもお腹ギンギンですよ、虫だらけだから。カエルも一杯おるしね、という話です。そういうのをバンカープランツといいます。カバープランツというのは、草を抑えるような役目を果たしてくれる植物のことです。ヘアリーベッチみたいなやつです。それを上手いこと使います

以上をまとめますと、自然資源を効果的に効率よく運用する一連のいろいろな栽培方法があります。生態的農業技術です。これを開発しなければならないという話です

ややこしい有機農業の定義はだめなので、私が考えました(図5)。有機農業には3つあります。一つは、資材依存型。化学肥料の代わりになるものを入れなければ採れないし、収量があがらないってドカドカ入れる人がいます。二つ目が、低投与型。肥料をかなり減らす。そしたら、それが健康に育つというわけです。もっと減らした三つ目を、低栄養成長型っていっています。私はそういう風にいっています。かなり栄養をがくっと落としても、リンも窒素も雨に混じって勝手に降ってきます。それで、勝手に作物が採れると私は思っています

作物は、人を見て育つという実例です。以下スライドショーと共にお見せします
これはほうれん草です(画像8)。この一株を一番外側の古い葉から順番に生やしていく。そうして茎の下側を一直線にそろえて古い葉から順に並べます。並べたものを見ると作物の生長の仕方がわかります。説明しますと、この辺の一番背の高い葉とその両側の葉、この3つくらいですかね。この3枚の葉の光合成能力が抜群なのですよ。活動中心葉といいまして、一生懸命光合成してこのほうれん草一家の一株を支えています。こっちの方は古い葉で、どちらかというと少し色が悪くなっています。この葉は私と一緒で年金くらしです。つまり、自分の光合成能力だけでは、自分の葉だけでも維持出来ないということです。ずっと左の方の葉は次第に小さくなってきますね。これらは生長がさかんな年頃ですから、自分の光合成能力だけでは足りません。したがって、活動中心葉が合成したエネルギーをわけてもらって生長している。いわば、すねかじりといえます。でもやがて花が咲き種ができるときには、立派に役割をするべき大事な葉なのです

次は、菌根菌です(画像9)。菌根菌の菌っていうのは、細菌の菌っていうのと一緒です。これどこが菌根菌かっていうと、普通の根よりかなり太く肥大しています。細い根が途中から紡錘状にボコっと膨らんでいます。この部分は、菌根菌の菌糸が植物の細胞の中まで入っていってるんですよ。それで膨らんでいるのですが、細胞の中まで菌糸が入っても、その細胞を殺しません。そこで一緒に共生しています。何をしているのかと言うと、菌根菌の菌糸は土の中へずっと細い菌糸をのばしていきます。そして植物の根が入りこめないような細かい小さな土の隙間の中に入っていって、そこからいろんな養分を吸収して、「はい、これあげる」って植物に渡しています。そういう共生関係をしているのが植物の根と菌根菌なのです

そして菌根菌は、光合成した養分のお小遣いをもらえるというわけです。これが菌根菌の役割なんです。これがほとんどの植物に(もちろん作物にも)つきます。作物だけではなく、世の中のほとんどそこら中に生きている木や草についています。菌根菌。これが重要なんです

これはまともに育った大根の葉です(画像10)。左右ほぼ同じところから、左右・対照的に葉(切葉)がでています。これが正常で健康な大根の葉の姿です。しかも栄養状態がいいです。そのわけは葉の色も薄いですね。これくらいの葉色でよいです。私はいつも五月の新緑の色に育ててほしいといいます

市販の大根です(画像11)。これだけ切葉がずれています。これはメタボ。葉っぱの色も黒ずんでいます。窒素肥料の過剰吸収です。この葉をゆでたら、ゆで汁が薄黄色に染まります。しかも茹でた葉の色があせます。でもさきほどの薄い葉色の大根葉でしたら、逆に色がもっと鮮やかになります。それが本物の証拠です

私の畑に来ている女性の方が油粕をばさーっと振るから、「そんなにたくさん肥料あげたらだめ、虫がくるからやめなさい」って言いました。そしたら、「いいの、私かぶが大好きなの」って。結局根っこの白いところが小さくて、葉っぱだけ大きくなりました。ここにポツポツと小さな穴があいています(画像12)。これってカブラハバチに葉が喰われたのですね。典型的な例だと思います。肥料のやりすぎっていう話です

これ、人参です(画像13)。少しくびれています。へこんでるでしょ。この畑の10㎝程下のところに固いところがあって、そこを人参の根がつきやぶったのですね。人参の根が力を入れてぐっと押しながら堅い土層を押しのけたせいでへこんでるんです。こういうのも観察をしていると読めますね

これ、どれが美味しいねぎか?美味しいねぎは、上の二つです。葉の付け根付近がぷくりと膨れてるんです(画像14)。ここに養分貯めるのです。これはねぎだけでなくて、にんにく・玉ねぎ・わけぎ・らっきょう、みんな同じです。そしてねぎの一番うまいところは皆さんが切って捨てているところ。そこに十文字に切れ込み入れて、四つに分けて、根のところについている土を綺麗に落としてから、手で振って水を切り、そのまま片栗粉をまぶして、から揚げにします。これが一番美味しいですよ。私の教えた人はみんな、後で電話かけてきます。二番目に美味いのがねぎ坊主(ねぎの頭)。丸ごとだと天ぷら粉がつきにくいので縦に半分にして、かき揚げ。最高です。三番目は皆さんがいつも利用している葉の部分です

玉ねぎ(画像15)。きちんと時期に合わせて肥料をやってたら、むかって右の綺麗な玉ねぎの形になります。熱気球みたいになっているのは葉が随分黄色かったから、すなわち肥料不足になっていて慌てて最後に追肥を春になってから肥料をやりすぎたんじゃないかと。だから上だけ膨らんだというわけです。玉ねぎは、ほかのねぎ属でもそうですが、葉は7枚しか出ません。8枚目はねぎぼうずが出るのです。したがって、出てくる7枚の葉を見ながら、施肥時期を決めること。そして大事なことをもう一つ、ねぎの葉は円筒型です。葉が円筒型なのは、水分を極力葉から蒸散しないという構造になっています。したがって、養分を吸収すること自体が下手なのです。つまり乾燥地が生まれ故郷ですから、水を飛ばさない。あまり水を吸収しないという水に関してはケチつまり節約型の癖があるため、水とともに根から吸収される養分もなかなかねぎに入っていかないのです

よく農家の方から聞くのが「ねぎは肥料食いだから」という話ですが、これは間違いなのです。肥料を吸収するのが下手くそなのですから、少量の肥料を少しずつ、そして頻繁に与えるのが、うまくねぎを育てるコツです

作物は人を見て育つ。これは私の畑です(画像16)。草だらけで、まともに野菜なんて育たないだろうと、よく陰口を叩かれているのですが、そんなことは知らん顔。そしてこの畑には、いろんな人が来られます。そこで作られたソラマメです。別に悪口じゃないですけど、これ、おっちゃんの作品なのですよ。この方、体つきがけっこういかつい人でした。アメフトなんかされている感じで。根は優しい方ですが。優しいのだけども、姿だけでソラマメがビビったのでしょうね。そのためなのか、葉に小さな黒班つまり病斑が出ました

次のスライド(画像17)。ご覧になればわかると思いますが、ソラマメの印象が優しいでしょ。全体にやわらかいですね。葉の色がやわ

らかで。このソラマメをつくったのは女性です。これ作った方は、いつも笑顔で寡黙な方で。そういう性格が作物に反映してるのですね。ソラマメの作り方は私がちゃんとお二人に前もって説明しました。その後、同じように作られているのですが、こんなに違いがでるのです。お二人が来られいてないときに、私が一莢ずつ失敬して、塩ゆでして、試食したんです。思っていたとおり、女性が作られたソラマメが美味しかったです

次のスライドは友達の小松菜です(画像18)。いい葉色と、もうひとつ大事なことですが、葉の葉脈が細かいんです。ものすごく細かくて綺麗で緻密に見えます。これは、根が発達している証拠です。根が発達している状況っていうのは、葉の葉脈の発達具合を見ればわかります

キャベツも同じです。これは、京都の郊外で野菜を作っている友達の畑です(画像19)。この方は同じ30aの畑に毎年キャベツを作るのですよ。「歩留りは?」って聞いたら、「95%」って言ってました。「小さな玉のキャベツの5%はどうするの?」って聞きますと、「それは虫に食わすんだ」って。「キャベツを食べる虫も腹減るだろうし、チョウチョも生きているから」って言っておられました。このキャベツ畑には全面にモンシロチョウが飛んでいるのではなくて、10 ヶ所ほどのところにヒラヒラと舞っているのですが、同じ場所でヒラヒラしているだけなのです。なぜなのかな?と思って、ヒラヒラの場所へ行ってみました

この立派なキャベツはなにも食われてないのに、そのとなりの小ぶりな玉はモンシロチョウに食われていました。健康なキャベツは食われませんが、これには必ず原因というか、理由があるはずだろう、そう思って聞きました。「どうしてなのでしょうか?」とたずねると、彼は「さあ、なんでだろう?全部同じように苗を植えて作っているつもりなのになあ」って言っていました。私の勝手な推測です。小さな玉のキャベツは苗を移植したときに根痛みしたのではないだろうか?それで、根が回復するまでにほかのキャベツは根痛みしていないので、いっぱいに根を伸ばしていた。その後になってやっと根痛みから回復してさあ根を伸ばしていこうと思ったときには、先に根を張っているキャベツに、「ここは俺の領分だからあっちいけ」っていじめられた。そのストレスを感じとった虫が食ったのではないかと、私は推測しています。それが理由ではないかと

ここで大事なことを説明しておきます。葉の表面についている、いろんな微生物(葉面微生物といいます)を虫がチェックしている。どういうことかといいますと、この写真では少し見にくいかもしれませんが、ここに、虫がなめた痕あとがあります。こっちにもあったかな。私たちの皮膚の上にも常在菌ってのがいるでしょ。常在菌というのは、どなたの皮膚にでも住み着いている微生物です。常在菌は、私たちの体の健康状態を反映しているはずなのです

常在菌のなかには酵母菌やら、乳酸菌が手についている方だとその方は漬物が上手ですよ。パン作りも上手いはずですよ。でもなかには、私どうしても漬物つけられませんという方、いますよね。また、私パン作りだめなんですって人もいます。そういう方は、常在菌として酵母菌や乳酸菌が住み込んでいないのだと思います

同じことが作物にもいえて、葉面微生物が作物の健康状態を反映しているのではないか。だから葉面微生物を虫がチェックして、この葉だったらいける!って思っているのでしょう。つまり、この葉に卵を産んで自分の子供が孵るようだったら絶対生むのではないかなという話です

次、これは八ヶ岳の山麓で作っておられるほうれん草です(画像20)。ほうれん草という野菜は、硝酸態窒素を葉にがばっと貯め込む体質をもっているんです。有機栽培でいくら努力して肥料落としても、ほうれん草はどうしても最低2,000ppmは貯めるはずだって思ってました。それまでいろんな野菜の葉で硝酸態窒素の蓄積量を調べていました。それでここの方に「2,000ppmはあるでしょうね?」って言ったんです。そうしたら答えが、「いや300ppmくらいです」って。おどろきました。こんなに低いのは初めてでしたから。ためしにその場で葉をつまんで食べたら甘いのですよ。しかも全然歯がギシギシになりません。ということは、ほうれん草特有の蓚酸(有機酸の一種でほうれん草にはかなり含まれている)の含有量も低かったです。それでわかったことは、育て方さえ上手にすれば、硝酸態窒素だけでなくて蓚酸含有量まで低くなるんだっていうことです。当然食味にも相当影響するはずです

ほうれん草にも思い出があるんです。近畿地方のある県で、そこの有機農業研究会の世話人から電話がかかってきたのです。「ある生産者のほうれん草の硝酸態窒素の量がものすごく高かったのです。そのほうれん草を調理した消費者の方が、茹でたらかなり苦かったので相談室へ持ち込んで分析したら、硝酸態窒素の量が高かったです。そのあと消費者の方から文句言われました。どうすればいいの?」って相談されたので、「そのほうれん草の硝酸態窒素含量は10,000ppmを超えてたんでしょう?」と言うと、「そうなんです」と言ってました。「その生産者、彼は鶏をたくさん飼っているからなあ。鶏糞を圃場に施用し過ぎたのでしょ?そりゃあ窒素コテコテにあるからなあ鶏糞は。10aでずっと続けて消費できる鶏糞の限度は、10羽くらいじゃないかな。彼の畑って50aくらいでしょ? そこに最低200羽は飼っているからなあ。ゼッタイだめだ」って言いました。野菜の出荷は当分禁止でしょう。そんな事件もあったのです

トマトは裏にめしべの跡にあたる小さな黒いポチがありますね。そこからほのかに白い筋がいくつも星の光芒のようにでているものが美味しいです(画像21)

きゅうり(画像22)。まあこれくらいの太り具合だったらよいです。つまり全体の太さが同じくらいになっているものを選ぶこと

これは山形県庄内の、水田です(画像23)。ウド鈴木さんのお父さんの水田ですね。綺麗に除草しておられたので、「これどうやって除草したの」って聞いたら、「うちは人間合鴨なんだ。腰が曲がった合鴨がたくさんいるんだ」って言っていました。「でも、最近その人間合鴨減ってきました」って言っていました。だから困ってるんだっていっていましたね、冗談に

これが現代農業の稲です(画像24)。真っ暗で水面が見えませんよね。しかも下葉は枯れています。こんな米、美味いと思いますか?減反減反で栽培面積が減って、その分単位面積あたりの収量を上げようとするからこんな作り方になるんです。こんな米作らせといて、それでいいわけないのに、食の欧米化が進んだから米の消費量が減っているなんて嘘です。お前らがまず作らせているのだろう!と農水省に文句言いたくもなりますよね。こんな米まずいっすよ。こんな米、作っていたらだめです、という話です

これ私の畑(画像25)。ここにレタスの花が咲いています。一見何も野菜がないように見えますが、ちゃんと生えています。ここ奥の方バンカープランツです。ちゃんと有機栽培をしております。これは、やんちゃ蒔きという名がついています(画像26)。色々な作物を同時に混植する方法です。畑を浅く鋤き起こしておき、サニーレタス、水菜、高菜、日野菜、人参、ラディッシュ、壬生菜、春菊、小かぶなどを同時に播種するのです。種の袋の封を切って全部バケツの中にいれてから、畑の土をショベル一杯入れて混ぜ合わせて、それを土ごと播種するのです。こうするとアブラナ科の種は小さいので播種ムラになりやすいのを避けられます
あの人ほんと「やんちゃ」だから、やんちゃ蒔きって名前にしようかって私のあだ名が蒔き方に付いたのですよ。これね面白いです。ずっと一冬楽しめます。かつお菜なんかも植えて、水菜は葉っぱが細かいからほかの野菜の葉のすき間から伸びてきます。必ずレタスや春菊を混ぜておくのです。すると、虫があんまり来なくなります。春になったらブンブンやミツバチやら、クマンバチやら、この畑は虫の羽音でうるさいです。面白いですよ。こういう作り方もあるって話です。ちょっと収穫するのがややこしいですけどね

これが葉に現れたマグネシウム欠乏の症状です(画像27)。葉脈の太いところだけ緑で、そのあいだの部分は黄色く色抜けしていますね。これマグネシウムの欠乏です。この欠乏や不足は出やすいので気をつけてくださいねっていう写真です。マグネシウムはよく不足や欠乏が起こりやすいです。こうした症状を改善するには、市販のにがり液(一時はダイエットではやった)を50倍に薄めて葉面に霧吹きで散布してあげるだけで綺麗に治ります。葉の表ではなく裏面の方がよく吸収しますが、水を弾くようであれば石けん液(粉石けんをひとつまみ少量のお湯に溶かして、にがりを薄めた液に加える)を噴霧すればいいでしょう

この表は、おおよその土壌酸度と野草の種類です(土壌酸度別野草早見表)(図6)。露木裕喜夫さんがちゃんと解明してくれました。この広範囲の草、こいつはいけません。これはもうとにかく抜くしかない。けど、こっちからこっちのやつの全部は私も覚えてないんですが、中性に近いところはph6くらいだと、レンゲソウが生えてきます。だからこういう草を見ておくと、大体土壌のphがわかるってことです。よく土壌分析ってありますね。1反から5ヶ所くらいぺぺっと取って。それでphの電極をつっこんで測定するのですが、あんなの嘘です。ほんとうに土壌のph測ろうと思ったら、畑の土を全部持ってきて全部混ぜて測らなかったら測れないです。だからあれは参考値です、と私いつも言っています
でも、この表(土壌酸度別野草早見表)見せたら、「西村さんおかしい」って。「だってわしの畑、レンゲソウから10㎝も離れてないところにスギナが出てたよ」って。「それでいいんです」って私は言いました。「え?なぜ?」って言われます。その答えは土のphはモザイク状に違うはずなのです。土壌のphを測ったとはいっても全部が均一に同じph とはいえません。場所によって違います。そこを草というのは、自分の好みのphのところを選んで生えているのです。野草というのはそういうものです。それが理解できれば、大体ここはどんな草が優先しているからここはph低いね、とかそういうのがわかりますという話です。それを読むのがこの表です

有機農業とは、「天地有機」天地に機(とき)あり(図7)。この世のすべてに機(とき)がある。種をまくのも機(とき)。収穫するのも機(とき)。人が生まれ、死ぬのも機(とき)。すべて機(とき)が支配している。そういう意味ではよい四字熟語ですね。この無為自然という字は、老子が言ったことですね。為(な)すことなし自ずからしかり。自ずからしかりで、全部備わっているのが自然なんだ、ということです。次の言葉は農法自然で、農は自然に則ると読みます

二宮尊徳さんの歌です(図8)。二宮さんのところは武士階級ではなくて庄屋の生まれですね。だから武士にずっと目をつけられていて、いつバッサリやられるかわからないと思っていたみたいですね

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