オーガニック&ナチュラル ポラン広場東京の集い2017 報告集

第2部 「参加者の意見交換、質疑応答」

(以降、敬称略)

神足:
西村先生からは有機農業の技術的な問題、第1部の方では時間が足りませんでしたので、この後、技術的なことについて話しますので、先ほどの第1部の先生のお話について、質問などありましたら、お伺いしようと思います
消費者:
朝ごはんを変えて3年とおっしゃっていましたが、身体の状態は3年前と今でどのように変わりましたか
西村:

3年前から私が実行しているのは、量としては小さめの味噌汁碗一杯分しか食べない朝食です。何を食べているかというと、主目的は亜麻仁油かエゴマ油です。亜麻仁油あるいはエゴマ油は大切な必須脂肪酸ですが、空気酸化しやすいので、常時きちっと密閉して遮光できる容器じゃないとだめなのです。もちろん常時は冷蔵保管しなければなりません。市販されている亜麻仁油・エゴマ油を入れている日本産の容器は、ほとんどが透明のガラス容器に入っています。不安定な油なので原則は密閉・遮光・冷蔵保管しなければなりません。こうしないと化学反応を起こしてして酸化してしまい効力が無くなってしまうのです
私の場合は、致命的な脳幹部で脳出血をおこしたため、知人から「西村さんこれ摂取すれば」と言われて勧められたカナダ産の亜麻仁油を飲んで(摂取)います。それは柔らかいプラスチック製の容器なんですが、黒色で遮光してあります。中に注入弁がきちんとついていまして、必要な分だけ容器を押したら、必要な量だけ出て、それでお終いなんです。だからそういう瓶(容器) でないとダメです。日本製の容器ではこういう配慮がなされてません。だから、早急にそういう容器を考えるべきだとも思います。その亜麻仁油・エゴマの油は、摂取する量としては小さじ一杯弱です。それをきな粉と黒ごまをすったものの混合物(2:1)に入れます。きな粉と黒ごまは大さじ山盛り1杯分です。これも目分量です。この混合物はプラスチックのふたつき容器に入れています。その大さじ1杯分を容器に入れまして、亜麻仁油を小さじ1杯弱入れて粉に吸着させるのです。すぐに空気酸化しますから、粉の中央をへこませておいてそこ目がけて油を注入し、粉で覆って数分おいてから素早く混ぜて粉に吸着させます。こうすると酸化が防げます

次に飲むヨーグルト。どこのヨーグルトでもかまいません。大きめのお猪口の量で1~2杯入れ撹拌します。次にミューズリーもしくはグラノーラ。私がいつも購入してるのは、オーガニックのグラノーラ、残念ながら日本製はありません。私が購入してるのは、たまたま近所のスーパーで手に入れているJAS 認証マークのあるもので3種類あります。その3種類も、1種類だけを食べるのではなくて、つねに2種を混ぜて使っています。これは私の癖ですが。それを、大さじ山盛り2杯放り込みます。このグラノーラにはライ麦・エン麦を押しつぶしたものに干しぶどう・ヒマワリの種・カボチャの種・干しイチジクそれに、かぼちゃの実などが入っています。これを大さじ山盛り2杯分入れて、最後に豆乳で満たします。豆乳も有機です

最後に大さじすりきり1 杯のはちみつもしくはメープルシロップを入れます。でないと、エゴマにしろ亜麻仁油にしろ結構匂いがしますので、匂い消しのためには黒ごまときなこに混ぜてそれで吸着させるっていうのが一番手っ取り早い。食べにくいので、大さじすりきり1杯のはちみつかメープルシロップを入れて、それで若干の甘みというか口あたりをよくして毎朝食べてます

お昼になっても、腹持ちがいいんですよ。だから昼食がかなり減ります。これを朝食にせず、ブランチにしてもいいと思います。食べられるんでしたら、1日2食でも構わないんで、要するに朝と昼の間に食べて、あと晩飯。私の場合は昼と晩は何を食べても構わない、という風にしてます。私のことですから毎晩、酒はかかさず飲んでます。6年前に脳出血やったんで、友達からは、あまり飲むなよ、と言われておりましてね、この方がまた悪い人でね、冗談にいうんですよ。こんな言葉があるんですって。「酒と女はニゴウまで」というわけでですね、酒は嗜みますけども少量しか飲みません。1合くらいでしょうか?もし、わかりにくければ、レシピをお送りいたします(「西村先生おすすめレシピ」は46 頁に掲載)

神足:
それでは有機農業の技術について話を進めていきます。熊本から肥後あゆみの会の澤村さんがみえています。澤村さんはおそらくもう10年になるのでしょうか、自然農法をやっていらっしゃいます。先ほどの話を聞いて、今後どのようにされるのかお聞かせください
澤村:

有機農業は長くやっていたのですが、もっとよいものはないかなぁと求めて農業をしている中で自然農法に出会いました。色々な農家のやり方とか色々な農法があって何がほんとうなのか、何がどこまでできるのかがわからないので色々と試みているところです。自然農法イコール無農薬という一切圃場に持ち込まないというやり方の農業を見せていただき、では自分が経営する中で何ができるのか、まだ今取り組んでいるところです

私が九州の熊本の平坦地で一番できているのはお米です。お米ができるようになって確かに年々土地が豊かになってきています。水を張った時の生き物の数が全然違います。小さな生き物たちが豊かな暮らしをしているのを見ると、「あ~これはできるんだな」という気がします。お米の場合は、在来種というか昔の品種を作っているんですが、葦(よし) のように根が強くなって虫も病気もまったく入らないんです。これはできるなと実感しています

一番の問題は除草対策です。除草対策は私たちの田んぼですと、タニシがいるんです。5月~6月に水を張ります。田植えが7月まで入ってしまうんですが、水を張ると水の中に眠っているタニシが出てくるんです。稲刈りが終わって翌年の6月までは冬眠しているので、一切耕しません。そして春になるとほんとうに勢いよく芽吹いてくるんです。草の勢いを見ると、草が増えて土が増えてくるのを感じます

とにかく土が硬くてトラクターに乗ってもゴツゴツするんですが、それが2年目、3年目になるとトラクターで一回鋤くだけで土が小さく砕けるんです。特別に何を入れたというわけではなく、何もしていないんですが、土の生き物たちとか草を見ると、春先になると一面グリーン色にきれいな植物が育っているのを見たときに、「あぁ、これはできるな」と感じます

お米は、5~6.5~7.5俵まで、できるようになりました。私が何をするではなく、土と種がうまくかみ合って、気候風土に合ってきたのかなという気がします。米以外にも果菜類はトマトをメインにやっていますが、収量がどうしても落ちてしまいます。これについては、地元にある竹林から土着菌を取ってきてボカシ肥に混ぜて使っています。動物性の肥料をほとんど切って植物性の資材を入れて作っています。以前、畜糞をかなり入れていた時期がありました。20年くらい、どうもよくない、虫害も減らない。切り替えて15 ~6年になるんですが、熊本の場合は、九州山脈から4本の大きい川が流れていて河川敷に生える葦などは2~3メートルも自然に伸びます。それを年に2回刈るんですが、年間にすると1,000~2,000台の廃棄物になります。この草も3年かけると土になるんです。これを持ってきて混ぜ、今はこの2種類だけでやっています

最終的にはやはり種かなと思っています。いかに自分の地域で育てたものから種取りするか。ミニトマトは真夏に植えてもオーガニックでできるようになりました。大玉はF1(雑種第一代)だったんですが、それも昨年から一番よい株から種を取って、今年はF1から固定種を取ろうと思って植えつけました。今一番思うことは、自分の圃場で種を取ることが農業をする上で楽になるのかなということです

熊本は日本一のトマトの産地です。コナジラミという害虫がいまして、様々なウイルスを媒体する厄介なやつです。このコナジラミが入ると生育がストップするので農家は非常に困っています。昨年もある程度大きくなったのを全部抜き取ってやり直すということが起こりました。とにかく周りがみんなトマト畑なので、その中で有機でやるというのは非常に勇気がいるんです。ところが、ミニトマトの種を自家採取して十数年になりますが、このコナジラミが入らないんです。昨年も15,000本くらい(夏は少しですけども)入れています。抵抗性の品種も出ているんですが、今はいかに種を作るかを課題としています

神足:
ちなみに作付面積は?
澤村:

4.5haの有機のハウスがあります。年内に約30,000本を植えて、先月末と今月頭で約60,000本の大玉トマトを植えました。トマトだけで約8~90,000本を年間植えつけています。冬場も出荷していますが、この時期が一番難しいです。何が難しいかというと、疫病です肥料自体も植物系に変えてきたことと、野草に変えてきたことが一番できてきた。害虫が減り病気が減り、肥料の量も減ってきました。海のもの、蟹とか魚類も1割~2割入れて肥料を作っています
今、一番目の開花が始まって、4月下旬から6月まで出せる状況にどうにかできるようになりました。成分的には、糠が約5割にもなります。日本では資源として糠がなくなることはないので、農家にとって有益な資材だと思っています。ボカシ肥を作って野草を入れて野草堆肥を入れてます

ここで一つ、塩トマトといって江戸時代に干拓がなされ、土の中の塩分濃度が4~5%ある通常なら植物は何を植えても枯れてしまう濃度です。今、糖度が10度から12度になるトマトが自然にできるんです。そういうところに作ると「尻腐(しりぐさ)れ」といって、どうしても養分バランスが崩れて出るんです。どうしても何をやっても止まらなかった経緯があって、2~3割だったのが1%も出なくなりました。それは何を入れたかということではなくて、今思うと、成分よりも土の中の生き物の数を増やすということが微量要素欠乏に対して関係しているなと思います。野草の堆肥を始めて3年目~5年目には出なくなりました。一般農家も色々やっていますが、やはり出ているんです。土壌分析中の成分のあるなしだけの問題ではないような気がします。土の中の生き物、野草で作った堆肥を入れることで、生き物と目に見えない微量要素がうまく吸収される形が、このカルシウム欠乏も出なくなったと思います

神足:
ありがとうございます。説明の中で、農薬化学肥料の代替物として有機物資源を使うとありました。低投与型有機農業とは、投与量を相当減らし肥料の少ない形の栽培を目指すことです。低栄養成長型とは、低投与型をもっと進めること、少ない養分を使いまわしながら植物が生育することです。投与するのではなく、土壌生態系が豊かになれば植物は育つ今、お米とトマトの話が出ました。次に青森県の三上さんにお話を伺ってみようと思います
三上:

青森県でお米、大豆、小麦、ニンニク、そのほかトマトなど少しの野菜を作っています。お米はだいたい28~30ha、大豆が45ha、小麦が23ha、残りがニンニクの圃場です。耕作面積はすべてで100haです。昔は有機農業というものはなかったのですが、うちの父(社長)が1962年くらいに自然農法に出会い、自然農法を始めました。わずか5aからの挑戦で、少しずつ面積を広げてきました。最初は水稲だけでした。この作り方に自信が持てたのは1993年の冷害の時。この時にこの作り方でよかったんだと自信を持つことができました

お米は、米糠ともみ殻とくず大豆などを醗酵させて作ったものを田んぼに返すというだけのもので、動物性の堆肥などは一切使用せずに、畑で穫れたものを畑に返すという考え方でずっと作ってきました。1985年頃に10aあたり420~480kg(7~8俵)くらいまでの収量がやっと穫れるようになってきました。1982年からは耕地整理も始まったので、それくらい収量があげれるようになったと思います

お米を作った後は大豆を作って、大豆の後は小麦を作っています。以前、大豆の後にすぐお米を作った時に、その年の天候にもよりますが、湿度の高さか大豆の窒素分が高いことが原因か病気が出てしまいました。そういうことがあり、小麦をはさむようになりました

神足:

小麦の話が出ました。小麦は、国内の生産量が全体の消費量15%しかありません。そのうち有機の小麦は0.1%とほとんどありません。三上さんのところでは麦を作るのが目的ではなく、耕作を続けていく時に麦が必要だったということですね。その小麦が加工原料としてお醤油などに使われていきます。お醤油屋さんのほうも、有機の小麦を使うことでオーガニックの醤油を作ることができるということで、よい循環になりますね

三上さんは自然農法をやってますが、先ほど先生のお話にも出た露木裕喜夫さん。千葉の三芳村でされている有機農業が有名なんですが、それを指導された方です。露木裕喜夫さんの遺編集に、「熱海の岡田茂吉という方が戦前から無肥料農業を始めて戦後25 年に自然農法と名乗った」と書かれています。今回古本を調べましたら30,000円もしていました。非売品なんですが2冊もっています。読み返しましたが、たいへん素晴らしい内容です。岡田茂吉さんが提唱された自然農法、社長のお父様が14歳から始められたという、それだけの実績があるということです。西村さん、今のお話でなにかありますか?

西村:

お二人の話を聞いて思ったことがあります。私たちの小腸というのは、消化した食物から養分を吸収するための、柔毛細胞がウジャウジャ出ていて、咀嚼した食べ物からいろんな栄養を吸収していくんです。昔から面白い話だなと思っていたんですが。植物は何をしているのかというと、根の細胞(根毛) からもしかすると我々の小腸の内側に出ている柔毛細胞を表と裏ひっくり返してそのまま外に出したような状態が植物の根だと考えてもらって、そうすると、私たちの小腸とえらい違いがあるんです。何かというと、小腸の場合は食べたものが胃袋を通過します。胃袋で強酸が出て、世の中のややこしい微生物全部がぶっ殺されるわけです。その中に入って消化していく。ある意味、無菌状態みたいな環境にあるわけです、私たちの腸は。ただし成人の腸の中は無菌状態と言いましたが、胃酸の攻撃をくぐり抜けてきた微生物が平均して1.5kgもいるそうです。この微生物がどのような微生物なのかによって、私たちの健康、疾病・アレルギー・アトピー性皮膚炎・花粉症などの症状が軽度なのか重度になるのかを決定しているそうです

元に戻して土の話ですが、土の中に腸の中身がひっくり返っている状態ですから。土の中に根毛がびっしり出ているということは、いろんな虫や微生物がいるところに平気で柔毛細胞を出している。それでいて、何も障害を受けないでいる。これはすごい芸当ではないのかなと以前から思ってました。おそらく根からいろんな分泌物をうわーっと出しながら、分泌物に好んで寄って来る微生物や虫などを周りに寄せ集めて、それで防御壁を作っているのではないかと思っています。ほんとうのところはわかりません。植物に問いかけても、何も言ってくれませんからね。土を堀り返しても調べようがないのです。植物の根はかなりすごい芸当をしているんだろうなと思います。こうした意味では、私たち動物の腸よりはるかにすごい芸当を植物はやっているんだな、これは面白い話だなといつも思います。これがほんとうの土(ど)根性ではないかと思います。こういうことは現代科学ではまったくわかっていません。というか、わからないことはあまり調べないというのが大学・研究機関なんです。植物はすごい能力を持っているなと、お二人の話を聞いてそう思いました

まだわかりませんが、土の中の栄養状態を色々な微生物や虫がうじゃうじゃ棲むような環境にすればいいのだということです。別に病原菌と称する連中がいても構いません。それがある密度以上に増えなければ病気は起きないんです。そういう病原菌が病原菌でなくなるような環境を作る、病原菌が増えないように抑え込んでしまう、「これ以上増えたらあかんよー」というような環境を作るということが大事だということです。今のところまだよくわかっていないんですが、おそらくコテコテに肥料を入れないほうがいいのではないか、と私は思っています。土の中に生物がウジャウジャいて、その連中がお互いにぶつけ合ったり色々なことをしていることを調べてみてみれば、うまいことやっているんではないかな、という風に思います

神足:

土の中がどうなってるかわからないというお話を聞いて気づきましたが、この会場には消費者の方もいらしています。東京地域のJAS有機認証を受けている畑は100haしかありません。ただ、とんでもない有機の場所があります。明治神宮です。明治天皇が亡くなった後に全国に案内を出して、「森を作るぞ、木を送ってくれ」と全国から木を集めるわけです。その時の引き込み線が原宿駅ですが、あそこにどんどん全国から入ってきます。当時の記録を見ますと、一番多く集まったのは小学校かな。その時に役所から「名木(めいぼく)奇木(きぼく)お断り」これは、自然の移り変わりにまかせる森を作るので受け取れませんということです。本邦に農学あり、自信にあふれた農学者たちがあの森をこさえました

100 年の森ということです。十数年前に私が行きまして「ここは100年の森と聞いているんですけどどうなんですか?」と聞きましたら、「とっくに一つの極相林、自然の林になりました。今後どのようにしていくのかを今研究中です」とのことでした。明治神宮の森は、いってみれば有機林です。外から何も入れず、内側のものもいっさい外に出しません。西村さんがおっしゃっている低投与型、あるいは低栄養成長型といわれているもの。明治神宮を見ますととても豊かなレベルです。それを農業に置き換えて想像してみるとおもしろい

西村:

明治神宮のような森ができると、そこの中では自己施肥(じこせひ)機能がおこるんです。つまり自分で自分の肥やしになるものをどんどん貯めていくという作用です。自然の森でも草原でも必ず起こっていることです。植物というのは、自分で棲みやすい環境を自分で作っていく能力を持っています。それを私たちがもっと謙虚に学んで、農地で使うことができれば作物はどんどん育つと思います

神足:

イギリスのハワードが1940年代に西洋の有機農業をスタートさせた人です。このあとアメリカのロデールがハワードに感銘を受けて広がっていくわけです。これがハワードの最初の書物です。そのあとの訳本がこれですが、こう書いてあります。「地上の緑のカーペットを十分に利用すること」「それに基づいてわれわれの文明を建設することである」と締めくくっています。1940年代に既にそう言い切られていて、今私たちはなぜこんな風に立っているのか? 疑問ですし残念です
次にどなたか…

吉沢:

長野県飯田市で百姓やってます、吉沢といいます。今年で29年になりますが、ここのところ少し行き詰っています。久しぶりに土壌分析をしてみました。これまでも簡易分析はしてきてましたが、かなりいい加減な数値なものですから、JAの土壌分析を久しぶりにやりました。数値自体はすごく肥沃になっているんです。腐植の量も多いし、特別ph が高いわけではなかったのですが、ここ数年病気が多くなったなと実感してます。露地もハウスもそうなんですが、私は露地のほうがメインでやってます。よくいわれるふかふかした土とか、水はけもよくなりました
以前先生にお聞きして、新しく作った畑、私のところの畑は全部傾斜地なんです。野球のマウンドみたいにポコッと高くなっているところがあるものですから、重機でそこを削って60㎝下まで落として耕作しやすい地形を作りました。心土がもろに出て赤土で水はけが悪かったりするものですから、2年間堆肥を作ってすきこみました。3年目にオーガニックの認証がとれるということで、キャベツを作りましたら、普通にできたので、やっぱり効果があるんだなと感じました

それ以降も動物性のものは入れてないんですが、私のところはきのこの産地なものですから、しめじの廃菌床、もみがら、寒天の搾りかすなどを入れて堆肥を作っています。ここ7~8年間はこれを1~1.5t入れ続けていたのですが、いろんなものを入れ過ぎかな、もうだぶだぶになってしまっているんでは?それで病気がたくさん出るんではないか?と自分なりに推測しているんです。あるものを動かすためには植物の生理作用、微量要素を適当に入れないといけないのかな、というようなことも思っています。先ほども、微生物がそういう働きをしてくれるという話もお聞きしまして、単純に微量要素を投入するということではなくて微生物の活動を活発にする方向にもっていくことが正しい方向なのかなと今感じています。私のところはかなり有機物の量が多くなってきていて、そのうえで障害が出たときには、どのように考えていったらよいのでしょうか

西村:

私がそこへ行って土を見れば一番いいのですが。いま言えることは、廃菌床というのは数回は入れてもいいんですが、ずっと続けるのはよくないんです。なぜかというと、廃菌床の床を作っている原産地は日本ではないんです。多分中国からの輸入だと思います。ということは、何が入っているのかわからない

吉沢:農協出荷の農家が作っているしめじなものですから、放射性物質のチェックをした関西のものだと聞いております

西村:私があちこちで聞いた話では、菌床は実は中国で作っているらしいんです。日本で作ったら人件費が高くて作れないんです。ああいう国ですから何をしているのか、何を入れているのかも全然わからないんです。ちょっと怖い話だなと前から思っていました。廃菌床は1回くらいは入れてもよいと言ってきたのは事実です。だけど、ずっとは使わないほうがいいと思っています。なぜかというと、あの中に米糠がたくさん入っているんです。米糠は窒素も多いんですがリンも多いんです。コテコテに多いんです。なので過ぎたるはなんとか……という気がしています

私が菌床を勧めた理由があるんです。昔、露木裕喜夫さんも言っていた「木は木に返せ。草は草に返せ」という言葉があるんです。要するに、ほとんどの作物は草ですから、木を草に返してはいけないというのは昔から言われていたことなんです。木には難分解性のリグニンというのがたっぷり含まれています。リグニンというのはものすごく分解しにくい成分なんです。その成分があるがゆえに木はあのようにカチカチに硬くなれるんですけども。そのリグニンを分解できるのはキノコだけなんです。廃菌床というのはキノコを作ったあとの廃棄物なので、リグニンが分解して低分子になっているからいいだろうと思って勧めています。だけど、それをずっと続けて入れるとは言っていません。同じものをずっと入れるのは、土にしてみれば偏食になるんです。雑食のほうがいいです。いろんなものを入れるほうがいいと思います。それでもし病気が出ているんでしたら、困りましたね。どんな病気ですか?

吉沢:

たとえば昨年だと、路地のきゅうりなんですが、斑点細菌と炭素病と黒星病。取っては捨て取っては捨てという状況でした

西村:

そうですか。それは土壌の中の養分がかなり偏ってますね。偏っているからこそ土壌微生物も偏っていて、土壌のバランスがかなり崩れているように見受けられます。とすれば、私がおすすめのクリーニングクロップというのがあるんです。クリーニングクロップというのは、土壌の中で養分が偏ってきたときに、ハウス土壌でもそうなんですが、養分の偏りを是正してくれる能力を持っている植物なんです。今までクリーニングクロップが使われてきたのがイネ科の植物なんです。イネ科はリンやカルシウムを吸収するのが上手ではないのです。だからあまりよくない。使えるのはヒマワリと蕎麦なんです。これが新手のクリーニングクロップです。これは、皆さんの前で言うのは初めてです。食用ヒマワリみたいな大きいものを作る必要はなくて、小さい花で背丈も低くていいのです。要点は、花は咲かしたらだめだということです。葉と茎だけが過剰の養分を土壌から吸い出した状態で刈ってしまうのがコツです。ハウスであれば外に持ち出すんです。蕎麦も同じことがいえます。蕎麦も花が咲く前に刈ってしまうんです。そうしないと実の方に栄養が全部行ってしまいますから、それは問題なんで、緑にしておいて刈って持ち出す。ということをされるといいかなと思います

なんで蕎麦を使うのかといいますと、昔から蕎麦というのは荒地やら開墾地やら山間部の非常に養分が少ないところでも育つんです。たとえば蕎麦を普通の畑で育てると、そのあと肥料を入れないとなかなか作物が育たないと言われます。この意味では養分吸収力がとても強い植物なんです。実際に試したことがありました。これも昔からの言い伝えで、竹や笹が生えてくるような農地があるとします。畑や水田に寄ってくる。そういう時には寄せてくる空き地に蕎麦を厚く蒔けというんです。そうすると竹や笹が寄ってこないというのです。竹が野放しになってしまって、どんどん山林を荒らしてしまっています。竹林を竹細工の材料として使わなくなったからです。そこで一回竹をやっつける方法を考えようということで何人かでスタートしたことがあります。一番混んでいるところを手当たりしだいに切って、地面に光が届くようにバツバツに切ったことがあります。直径50mほどの空き地をきれいに伐採して、地面に太陽が届くまでにしたのです。そうしたら、竹が外に出て行かなくなり、伐採した空地に生えてくるようになったんです。それと、外に出ていくところに一回竹を切って蕎麦をかなり厚めに蒔いたら、竹の根が腐ってしまったということがありました。そういう意味では蕎麦というのはけっこう使えます。まだ実験段階なので確証は持てませんが、こういう面白い養分吸収をする植物ですから、蕎麦の使い方を考えたら面白いかなと思います。クリーニングクロップとしては最適かなと思っています

立野:

山梨で農業をはじめて19年目。面積は約6ha。肥料は鶏糞のみ。虫に食われたり、病気になったりはしますけど、だいたい許せる範囲で収穫はできているのでずっと鶏糞でやっています。あまりよくないとは言われているのですが、100のうちまあ70~80、そのくらいはものになっているのでずっと鶏糞でやり続けています

神足:
西村さんのお話で、葉物の色は新緑の頃の緑がいいぞとか、畑のまわりの草と同じ色だったらいいということなのですが
立野:
さほど濃い色でもないので、いいのではないかと思っています
神足:
あまり資材に依存してはいないということでしょうか、その鶏糞は何のために使っていますか?
立野:
たまたま近くで鶏糞が手に入るだけのことで……。まかなくてもいいところもあるが、生育の悪いところに多めにまいたりして肥料的な感じで使っています
西村:
ph値はどれくらいですか
立野:
ちょっとわかりません
西村:

土壌のph 値が中性だったらいいと色々なところで聞くのですが、私は7 を越したら危ないと思う。なぜなら7を越したら何がおかしくなってくるかというと微量要素の中でもホウ素の吸収がかなり落ちるんですよ。ホウ素というのはカルシウムと一緒で細胞の壁、私たち動物にはなくて植物にしかない細胞壁。壁を作るにはホウ素とカルシウムが必ずいるんですセルロースとヘミセルロースという繊維がありますが、コンクリートの構造物に例えると、鉄筋にあたるのがセルロースとヘミセルロース。セルロースとヘミセルロースがきちんと配列よくならんでいて、その間をセメントが埋めている感じ。鉄筋コンクリートですね。そのセメントの役割を果たしているのがペクチンという化合物。りんごに多く含まれるといわれ、ジャムなどの材料にします。ペクチンが鉄筋にきちっとへばりつくときに接着剤の役割をしているのがカルシウムとホウ素です。土壌のph値が7 を越えると、カルシウムとホウ素の接着剤が減ってくる、溶けにくくなってきます。減ってくると根から吸収しにくくなる。そうすると細胞壁がゆるゆるになってきやすくなる。これで何がおこるかというと、カビなどの攻撃をうけた場合に菌糸が易々と細胞の中に入ってきやすくなる。つまり病気に感染しやすくなるという現象がおきます。そうすると日持ちが悪くなる、あるいは腐りやすくなるという現象がおきてくるので、できればph値は7を越さないように管理されたほうがよいと思います

私はそれをひとつは静岡で見ましたし、もうひとつは塩尻。塩尻は火山灰土壌です。そこで作物がだんだんやわらかくなってくるという話を聞きました。何をやっているのか聞いたら、いつもは鶏糞をやっているというので、それは減らしたほうがいいという話をしました。静岡の場合はハウスですが、トマトが軟弱になってきたという相談を受けた。そのときの土壌のph値は7.6。これは土壌酸度が上がり過ぎだという話をしてきました

土壌のph 値は上げたほうがいいことはいいのですが、強酸性土壌みたいに4.5とか5では作物によっては作りにくいこともある。だけどphは上げ過ぎてもだめ。ph値は7以上にあげると元に戻すのが非常に難しくなります。それに気をつけたほうがよいと、いつも農家の方に伝えています。これは『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という意味だと理解していただきたい。できればほんとうは単用は避けるべきだと思います。つまり一種類の肥料分だけを施用するのは好ましくはないと思っています

神足:

お米や畑の話はありました
永年作物について、たとえばお茶や果物について低投与型や低栄養成長型をどう考えますか?

西村:

お茶はものすごい多投与で窒素をがんがんやっている、どこでも。ただ、あまり入れないほうがお茶の浸出がよくなる(茶の出がよい)という話も聞いています。飲料としてのお茶の成分を分析して、テアニンだけをつくれるような栽培にすればいいというのが現代科学のやり方。あれだけ窒素肥料をやると茶園土壌がむちゃくちゃになっているところがあちこちで見受けられる。それは過剰な窒素が雨水とともに流れ出て、河川を汚染しているということ

私が見に行った中では静岡の川根。窒素をやり過ぎと思ったことがありました。窒素のやり過ぎは、茶園だけですむ話ではありません。土壌汚染をおこして地下水経由で下流に窒素が流れて川が汚染されている状況になっていた。これは『過ぎたるは及ばざるがごとし』の典型だと思いました

お茶の美味しさ・甘さというのはテアニンで、窒素がテアニンを作るというのは事実ですが、お茶のほんとうの美味しさというのはテアニンだけでできるものではないのです。香りや色以外の成分の味など。その意味では違う作り方をしている茶園農家がいます。有機JAS 認証も取得していて奈良と三重の県境の近く、月ヶ瀬というところで製茶工場までつくって茶園を手広くやっていらっしゃいます。その方はそんなにたくさんの窒素肥料を入れていないのに、非常に美味しいお茶を作ります。そういう方もいるので窒素だけをがんがんやるのは控えたほうがいいのかもしれません

神足:

お茶の木は将来的に低投与型や低栄養成長型というのは考えられますか?

西村:

はい。果樹の話ですが、りんごとみかんはあちこちでみましたが、それもあまり肥料を入れ過ぎないほうが産物としてみかんをパッキングして送ったときに腐りにくいという話は聞きました。今は質より量となってしまった気がします

神足:

質より量という話では、茶取扱い業者が安い価格でしか買い取らない。農家は収量を増やさないと同じ収入がありません。窒素は茎や葉の成長を促す成分なので使えば葉っぱがたくさんとれます。街で体にいいと思ってペットボトルのお茶を買って飲めば飲むほど、産地では窒素がどんどんどんどん使われ、静岡県では窒素施肥量に基準がありますが、守られずにどんどんいれます。そうすると河川に窒素が流れ、海洋も汚染します。ですから私はオーガニックでないペットボトルのお茶を飲みません

静岡の依田さん、今のお話を聞かれてどう思いましたか? 西村さんは低栄養成長型のお茶もいけると言っていますが

依田:

ぜひ自分の茶園でもやりたいと思います

神足:

今の資材は?

依田:

魚粕と菜種粕くらいです

神足:

これはJAS有機に認められたものでなければいけないわけです。どこ産の魚粕ですか

依田:

北海道の牡蠣殻です。菜種粕もJAS有機のものです

神足:

駿河湾の魚介類由来のものは入手できないのでしょうか?

依田:

なかなかJAS有機の肥料というのは証明がとれないものだから

神足:

もし原料があったとしても中間の肥料製造者がJAS有機の認証をとっていなければ、資材として使えないということですよね。目の前に駿河湾・太平洋があるのにわざわざ北海道のものを使っていると

依田:

ひとつ質問ですが、木は木に返せっていう言葉で、お茶は台下げといって、茶枝の高さを落とす作業があるのです。5年に一度くらい、かなり多くの茶の木の残渣が入っていくんです。今日の話を聞いて、それだけでもいけるんじゃないかなって、ふと今思っています

西村:

月ヶ瀬の農家からも相談を受けたことがあって、色々困っていることは事実。まず肥料の問題があります。そのときも廃菌床を入れたらどうかといったことがあります。ただずっと使い続けるのはやめたほうがいいと言った、何年間に一度くらいはそういうのを入れてやってもいいと言いました
また彼が悩んでいたのは有機の茶畑にすると虫がいっぱいくる。蜘蛛が茶の中に巣をつくってお茶の葉の中にまじってくるから大変といっていた。仕方ないから機械で刈るとき、竹箒で蜘蛛の巣を取り除いてから収穫していると言っていました。それが大変という話をしていました。また茶毒蛾がくるのが一番困ると言っていた。あと芯食い虫、カミキリですね。それが入ったらどうしようもないと嘆いていました
農薬使えないから

依田:

私の畑は標高が高い(800m)ためほとんど虫の被害はないんです。昔の茶畑は種をまいて通り道がなかった。それが頭にひっかかっていて、さっき根がけんかするという話をされていましたが、今は機械化になって畝にするが根が密集しててけんかしていると思う、地面の中で。そうすると根が自分で栄養をとりにくくなっていて、上から人間が余分なことをしすぎているかなと。ただ昔の種のまき方は自然にそういうことをおじいさんたちは勉強していて、芽が自然にでてくるというような作り方をしていたのではないか、残念だけどもう一度そういう畑を作りなおすのはなかなか難しいのです

もうひとつわさびも作っていて、わさびは2年くらいで植え替えるのですが、以前は20㎝方に植えていて根がけんかしていた。それを30㎝間隔にしたらいいものがとれるということがここ2~3年でわかってきた。根っこがけんかしないということがわかってきて、これは続けていくと根のはりがよくなるのではないでしょうか?

西村:

それはあると思います。それから肥料の問題ですが、たとえば宇治茶というものがあります。京都の近郊に茶畑があります。あそこの第三紀層(恐竜が絶滅したあと、高温・乾燥が続いた時期:赤茶けた粘土の強い強酸性土壌ができた時期)の赤土は強酸性土壌なんですね、そこでお茶を作っているが、そこにやる肥料は全部京都市民の糞便だった。それは茶畑が下水処理場みたいになっていたんだと思う。昔、蓮根畑と茶畑は下水処理場になっていたと思う。蓮根もめちゃくちゃ肥料を使う。作物の中で最大限の窒素を要求する。私が覚えているのはバキュームカーでくみ取ってきて蓮根畑に散布していたという話。それぐらい糞便をやっていた

神足:

確かに、見えないところではね。冬の高原夏野菜産地でそのような光景を見たことがあります、私も。岡田茂吉さんが始められた救世教自然農法。自然農法国際研究開発センターというのが長野県松本市にあり、そこから育種課の方がみえています。種の話をしましょう
澤村さんは自家で採ってそれを続けていくのがよいとおっしゃっていたわけですが、巴さんちょっと種のお話をお願いします

巴:

自然農法国際研究開発センター育種課の巴と申します。自然農法センターでは自然農法の原理の解明、研究開発と、もうひとつ自然農法を普及するために野菜の品種の種の開発を行っています

開発の現場としては、外から有機質肥料、もちろん化学肥料・農薬そういったものを一切いれずにその圃場の中で生産されたものだけで作物を作る。そういった環境の中でしっかり生育量確保して、実をつけて最終的に種になるものを原種として選抜していって、それを掛け合わせてお客さまに種を提供しています

いま、キュウリ・トマト・カボチャが主力3品目となり、全体の頒布量の6割くらいを占めています。ほかにナス・ピーマン・マクワウリ・スイカなどを頒布しています。種が大事という話が結構ありますが、私たちもそのように考えていて、よく有機農業の現場で対病性の品種、市販の病気に強いとうたっている品種を実際に作っても、本来遺伝的にはもっているが、実際に栽培するとそんなに強くないということがよく報告されます

私たちの圃場でもそうで、農薬・化学肥料も使わないという栽培環境で市販の対病性品種を栽培すると、病気・障害が多くなって、ストレスをおこして収穫が短期に終わってしまうということがよくあります。その違いとは何かというと、品種開発をされている環境、前提になる条件がまったく違うということにあります。市販の品種というのは農薬・化学肥料を使うことを前提に育種されています。そういった栽培で最高のパフォーマンスをするように品種の開発ができています。ですが、低投与の環境でそういった品種を栽培すると、まったく育成されている環境と違うのでストレスをおこして病気になったり収穫ができないということがあります。それに対し私たちは低投与栽培の条件でも栽培できるようなものを品種として育成しています。ご興味のある方がいればお求めくだされば、おわけします。特に市販の品種と並べて栽培していただくと何か違いを感じていただけるのではないかと考えています

神足:

先ほどの話のなかで飛ばしたところがあります。「すなわち低投与型の有機農業(自然農法の型)に移行するものである」の次のところで、この低投与型の有機農業に移行する段階での投与量は、作物にとっては栄養量が相当少ないと見なされる。しかし、同時に栽培する作物の形質としては、耐肥性品種とは異なる、(肥料がたくさんいるということですね) 肥料応答性の少ない作物品種が同時に望まれる。すなわち栄養成分量が少なくても、作物体内で使いまわしながら順調に生育するような低栄養成長型の遺伝子をもった作物品種が必要になってくるわけです。で、そういうものがもうすでに松本の自然農法国際研究開発センターで開発されて、注文すれば手に入るし、相談にものってもらえるということですね。ポランの方には数年前からリストをもらっていました。種の紹介をできてよかったと思います
消費者の方で何か質問のある方はいませんか?

消費者:

府中市に在住のナガクラと申します。そもそもどうして有機に進んだのでしょうか?農家の皆さんが有機だったり自然農法だったりに進んでいった理由を知りたいです

澤村:

若い人からそういう質問をされるとうれしいですね。今、私も後継者を育てている。私が個人的に変わったのは周辺の生態系の変化です。私は漁師もしていて海にも小さい頃出ていて先代から漁業をやっていた。物心ついた頃から30才くらいまで漁に出ていたが、その移り変わりがはんぱじゃない。簡単に言うと生き物がほんとうに減った。魚も貝も。理由はわからなかった。37年くらい百姓しているが、小さい頃は圃場のまわりの川で蛍も見ることができたが、今はほとんど見られない。生態系が変わった。なぜかと考えると今の日本は単位面積あたりの農産物収量からすると世界のトップレベルになった。その技術の革新はすごいものがある。でもその伸びてきた分だけ使ったのは何かというと農薬と化学肥料。農業だけが環境を汚染してるわけじゃないですが、かなりの割合で影響していると私は思っています

水田除草剤を2~3つの袋分量まけば、水をはった中に草が生えないんですよ。草は育たないけど稲だけは育っていく。これは不思議ですよ。そんなものがこれから世に広まっていく流れです。輸出入するために安く作るための機械化、規模拡大するために農薬と化学肥料と機械。日本はもっと環境汚染が進むと思います
だから私たちは次の世代まできちっと受け継がれる生態系を含めた環境を守っていかないと、あなたたちが20 年30 年後生活していくときに、あなたたちの子どもがほんとうに安心して生きていける、食べていける社会を作らないと、このまま進んだらおかしくなると思っています

私が実際やってきて感じるのが、できたものが美味しいということ。体にすーっと入る。違和感がない。後味がよい。そういうものが私たちの自然栽培とか有機栽培の中ではきちんと配慮しながらおこなうと、可能性は一般慣行の農家よりも十分あると思っています。ぜひ農業を志してください

神足:

1962年にレイチェル・カーソンという女性の海洋学者が書いた『沈黙の春』という本の中で、殺虫薬DDT などの使用について警鐘がなされた。このままいくと生態系がだめになりますよ、と。今、澤村さんが言われたように。生態系を守るということが出てくるわけですそれからDDT は規制・禁止されました。発がん性や生殖異常などの問題がでてきたからです。次の農薬も登場して禁止されました。そして今、「環境にやさしい、人にやさしいという農薬」という触れ込みで「ネオニコチノイド」という農薬が全国、全世界100 ヶ国以上に出回っています。これが神経毒なものですから、ミツバチの群が崩壊してしまうということで皆さんもご存知だと思います。欧米では規制・禁止の動きもでていますが、一方日本ではまったく野放し。昨年日本の研究で人体からも有意に数値が出ているということです。チェックされたのは白菜・レタス・ほうれん草・小松菜。それが体に蓄積するので、研究した女性は使用と摂取量について注意をうながしています、やはり使用を避けるべきではないかと

神足:

今日の話をまとめますと、有機農業が2000年の有機JAS制度で進む中で大半が資材に依存型の有機農業で進んでいる現実、これをより一層よいものにする必要があるという西村先生のお考えをポランはその方向で進んでいきたいと。そのときのひとつが今まであった言葉は有機農業有機農法、そして有機農業自然農法です。有機農業有機農法は低投与型。有機農業自然農法は低栄養成長型。有機農業をどのようにとらえるのか。それを進めていき、低投与型、低栄養成長型の技術の部分について西村さんと皆と話し合いをしながら、技術面でこういう風にすればそこは書き込める、あきらかにできると。そのように進めたいと。今日はその概要を話し合ったということなんです

今、技術といいました [……] 技術は理性より起源が古く、人間が理性で技術をコントロールできると考えるのは思いあがりだという論旨の文章を紹介して終えます

木田元 『技術の正体 The True Nature of Technology』 (株)デコ 2013
■はじめに
「技術の正体」を書いたのはもう22年も昔のことである。/人間の理性が技術をつくったというのは実は間違いで、技術というものは理性よりももっと古い起源をもつ。したがって、人間が理性によって技術をコントロールできるというのはとんだ思いあがりではないか。要約すれば、そういうことを述べたものである。/ありがたいことに「技術の正体」は、高校の国語の教科書や大学の入学試験問題にたびたび採りあげられ [……] 多くの読者の関心を惹(ひ)いたようで、私の書いた文章のなかでも、特に反響の大きいものの一つである。/東日本大震災から3年たった今も、技術についての私の考えは22年前と少しも変っていない。むしろ、今度の大震災であらためて裏づけを与えられたような気さえしている。 (p4、p6 /:改行)

■技術の正体
科学技術の発達はひたすら加速の度を高めている。半世紀前、私の子どもの頃のサイエンス・フィクションが100年後、200年後の夢として描いてみせたことなど、とっくの昔に実現されてしまい、現実はそれをはるかに上まわってしまった。/人類は今や本当に宇宙空間に居(きょ)を構えたし、核を分裂させたり融合させたりして巨大なエネルギーを引き出している。それは、一瞬の間に地球上の全生物を絶滅させうるほどのものである。試験管のなかで人間を誕生させ、動物の臓器を人間に移植し、遺伝子を組み換えて生物の新しい種をつくり出す。これらはすべて、かつては神の業(わざ)とされていたものである。今では人類はそれを、ほとんど日常茶飯(さはん)の事として引き受けるまでになっている。/こうした科学技術の発達がわれわれの生活を途方もなく便利にしてくれたことは確かである。食糧生産技術は大勢の人間を餓死から救ってくれ、医療技術は患者やその家族に光明をもたらしている。身のまわりを見まわしただけでも、どれだけわれわれが科学技術の恩恵に浴しているか、数え出したらきりもない。

しかし、その同じ科学技術が地球の資源を枯渇させ、環境を破壊し、人類を絶えず絶滅の危険にさらしていることも、これまた言うまでもない。科学技術は明らかに両刃の剣なのである。果たして人間にはこの危険な武器を無事に使いこなしてゆく力があるのだろうか。/もっとも、こうした危惧は今にはじまったことではない。2500年もの昔、すでにギリシャの悲劇詩人が、「不気味なものはさまざまにあるが、人間以上に不気味なものはない」と歌っている。人間は技術を駆使して、海を渡ってどこまでもゆくし、神々のなかでももっとも不朽なものだとされてきた大地をさえも飽くなく鋤きかえして疲れさせ、鳥や獣や魚を捕らえ、たくみに天災を避け病を癒すが、その技術が人間を善にも導けば悪にも導くからだ、というのである (ソフォクレス『アンチゴネー』)。となると、もっとも不気味なものとは、人間というよりも人間のもつ技術だということになろう。/しかし、そうした不気味な可能性を秘めてはいたにせよ、どの文化圏にもしかるべき生産技術はあって、それがいわば自然と協調しながら人間の暮らしを助けてきた。古代ギリシアにおいても、技術を意味する〈テクネー〉という言葉は、同時に芸術をも意味していたのであり、そうした技術=芸術はむしろ自然の働きの一環、ないしはせいぜいそのちょっとした延長と受けとられていたのである。われわれの父祖が木を一本切りたおすにも祈りを捧げ、その木の命を生かすようにそれを削り、柱に立て屋根をかけ、雨露をしのいだそうした生活技術は、けっして自然を枯渇させ死滅させるようなものではなかったにちがいない。/その技術が西洋と呼ばれる文化圏である時期から異常に肥大しはじめ、悲劇詩人のあの危惧が現実のものとなってしまった。しかも、その異常に肥大した技術は、西洋という圏域を越えて、まるで癌細胞が全身を侵してゆくように、世界大の規模で増殖しはじめたのである。/危険なものになってきたからというのでこれを放棄することなど、人類にはもうできそうにない。危険だと分かりながらもそれに頼るしかないのだが、その危険の水位はどんどん高まってゆくという抜きさしならない状況に、いま人類は置かれていることになる。/こうした不気味なものに対処するうまい知恵など、私にもあるわけはない。だた、私には、今日人類が直面しているこうした抜きさしならない事態を招いた原因の一つが、技術というものについてのわれわれのとんでもない思い違いにあるように思えてならないのである。

われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだ偉大な叡智(えいち)である。もともと科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢(むく)な知恵だったのである。それをたまたま実生活に応用したのが技術なのであり、その意味では技術も間接的には理性の所産である。人類の理性が産み出したものを、人類が理性によってコントロールできないはずはない。われわれ人類には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分あるはずだ、と。/だが、本当にそうであろうか。/人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術などではなく、ただの技術である。科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科学を産み出したと考えるべきではないだろうか。/そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間たらしめたのではなかろうか。原人類から現生人類への発達過程を考えれば、そうとしか思えない。火を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、食物を保存する技術が、はじめて人間を人間に形成したにちがいないのだ。/こうした技術に助けられて、その日暮らしの採集生活が可能だった熱帯・亜熱帯地方を離れ、寒冷な中緯度地帯に進出することのできた原人が、明日を生きるために今日から準備しておかねばならない生活のなかで、その時間意識にいわば過去や未来といった次元を開くことになり、こうしてはじめてホモ・サピエンスになりえたのだからである。/私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性がつくり出したものだから、結局は人間が理性によってコントロールできるにちがいないという安易な、というより倨傲(きょごう)な考え方である。どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古い由来をもつものらしいのだから、理性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである。

たしかに技術が人間を助けてくれることは多い。もともと人間を人間にまでつくりあげてくれたものなのだから、それは当然であろう。/だが、だからといって、技術の真意が分かったとか、技術が人間の意のままになるなどと思わない方がよい。技術の論理は人間とは異質なもの、人間にとっては不気味なものだと考えて、畏敬(いけい)しながらもくれぐれも警戒を怠らない方がよいと思うのである。先ほど引いたギリシアの詩人は、すでに十分にそのことに気づいていたように思われる。/技術のこの正体を見きわめることが、哲学のこれからの重要な課題になるであろうが、しかしそれは、これまでのように単に技術をいかにコントロールすべきかとか、科学知の論理と技術の論理の対比とか、技術と経済構造の関係を問うといったところにとどまってはなるまい。技術の人類史的な意味や、技術と芸術の同根(どうこん)性とその差異といったことをまでも根源的に問い、畏(おそ)れるものは畏れるだけの節度をわきまえたそうした技術論の展開が目指されねばならないのである。(以上、技術の正体pp.44-64 の偶数頁の全文 /:改行)

西村:

今日皆さんからお聞きした話や私がここでおしゃべりしたことだけで有機農業はとてもじゃないけどできるものではないとは思っています。なぜかというとまだわからないことが多すぎるんです。学としての土壌肥料学とか栽培学とか大学では色々あります。けれど、それはわかることしかやっていない。わからないことはほったらかしのまま。わからないことの方が無数にあって、その中にまだまだお宝が眠っているのではないかと、私は常々思っています

その片鱗が今日お話した中にもちょこっとあるんです。たとえば作物は人を見て育つという話。それは有名なバーバンクという育種家がやった話で最後の仕事で「サボテンはしゃべる」という本に書いてあります。要するにトゲなしのサボテンを作ってあげたという話なんです。サボテンがトゲを出さなくなった理由が、彼が羊が砂漠の中で口の中をトゲだらけにしながら痛そうにサボテンを食べていた。それを見たときにトゲなしサボテンを作ろうと決心したんです。トゲなしサボテンができた理由というのは、彼がそれまで成功したありとあらゆるテクニックを使ったけれども、できなかったんです。最後に彼はサボテンに呼びかけて、お前はもうトゲを出すなと、その代わりお前がトゲを出さなかったら、世界中にお前の生息分布は広がるぞと言って作ったんだそうです。そういう作物とのやりとりだってあるはずなんですよ。そういうことを私たちはまったくわかっていない

たとえば、真夏の太陽の光は強烈じゃないですか、私が裸になって海水浴にいったら、あっというまに火ぶくれします。真っ赤に焼けます。でも毎日毎日かんかん照りにさらされながら、木の葉も草の葉も火ぶくれ起こしませんね。なんででしょうね。わかってないんですよ。なぜ植物は皆、苔まで葉っぱ緑色なのか、それもわかっていない。しかも光合成効率なんてものすごい悪いんですよ。全地球上にふってくる太陽エネルギーのたかだか数%なんですよ。その数%のエネルギーを固定して、私たち人類も含めた全世界の生き物が生きていられるわけです。もっと効率よくしたらいいじゃないかと思いますけども、私はそうは思っていない。それぐらいの効率でないと植物は自分自身が爆発してしまうのではないかと思います

光合成効率に比べたら、太陽光発電の方がはるかに効率がいいんですよ。20%を上回っていますから。だけどそれは発電する能力だけであって何の意味もほかにない。有機物を一つも作ることはできないのですから。だから数%しかない光合成の効率がこの地球上のすべての生物の生きている根源となっているという話を考えたら、その効率はほんとうに正しいんだと思います

有機農業あるいは農業に関して、わからないことが山ほどあるんです。でもその山ほどの中のヒントは植物が持っている色々な能力をどうやって「おや?」と気がつくかどうかだと思うんです。私はそこに疑問を持ったからこそ、40年以上有機農業に携わってきました。それこそ、愚直という言葉がぴったりだと思っています。ずっとやってこれたのはただただ植物の持っている不思議さと面白さだと思っています。まだまだ可能性はいくらでも人間の頭脳と創造性の中にありますから。それをどんどん育てていってほしいなと思いますなぜ私がこんなことを言うかというと、私は今年6まわり目になりました。72歳です。私は自分の体を廃車寸前の中古車だと言っている。もうすぐ廃車になるという話なんです。そこまで私は生きましたので、そろそろ私自身のゴールが近づいているんです。残された課題を私が色々投げかけますから、それを皆さんが温めて次の世代の有機農業としてバトンタッチしていってほしいなと思っています

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