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『打瀬船建造航海プロジェクト』紹介
名称 | 一般社団法人 瀬戸内伝統航海協会 (代表:原 康司) |
連絡先 | 〒742-1111 山口県熊毛郡平生町大字佐賀2056-2 0820-58-0339
0820-58-0339
kouji-h@sirius.ocn.ne.jp |
[消費者会員の大野律子さんより寄せられました情報をお知らせします]
この世界の片隅から(その1)
1 Hawaiiって知ってる?
ハワイの島々は、500万年前から50万年前に海底火山の活動により誕生しました。そして、他の大陸と一度も陸続きになったことのない無人の島々に、初めて人が定住したのは3~8世紀頃。マルケサス諸島やタヒチ島などのあるソシエテ諸島からやって来たポリネシア系の人々が、ハワイ先住民の先祖と考えられています。
さらに、1778年にはクック船長がハワイを「発見」。以降、多くの欧米人がハワイに移住して来ます。その結果、1862年にはハワイ諸島の約75%の土地が外国人の支配する土地となり、1893年にはハワイ王国が滅亡します。また、ハワイにやってきた宣教師達は、先住民の伝統文化や儀式を野蛮なものとして排斥、オリ(ハワイアン・チャント)やフラなども禁止してしまいます。
こうして先住民の伝統文化は衰退の一途を辿りますが、1970年代に入ってこのような状況に危機感を覚えた人たちが伝統文化の復興運動(=ハワイアン・ルネッサンス)をスタートさせました。
2 Hōkūle‛aって知ってる?
さて、「ネイティブ・ハワイアンの先祖は、マルケサス諸島やソシエテ諸島からやって来た人々」と書きましたが、発動機も近代的なナビ-システムも持たない彼らに、大海原を何千キロも航海することは可能だったのでしょうか?
この謎に挑んだのが、ホクレア号です。古代ポリネシアで用いられていた双胴の大型カヌーを復元したホクレア号は、1975年に建造されました。そして、76年にハワイからタヒチへ、78年にはタヒチからハワイへの航海を成功させ、古代ポリネシア人が風と星だけを頼りに太平洋を航海出来たことを証明しました。同時にこのことは、ハワイの人たちのアイデンティティ復活につながり、ホクレア号はハワイアン・ルネッサンスのシンボルとなりました。
注)ホクレアとは、ハワイ語で「喜びの星」。うしかい座のアークトゥルスという星のこと。
ちょうど10年前の2007年、ホクレア号はハワイから日本への航海を行い、沖縄・奄美・長崎・宮島・広島・横浜など14の港に寄港しました。私も横浜へホクレア号を見に行きましたが、自然の力と人の力だけではるばる太平洋を渡って来たことに素直に驚きました。
また、後日この航海の軌跡がTVで放送された際には、瀬戸内海の祝島や宮島でホクレア号に伴走する和船の映像にひときわ感銘を受けました。その和船こそが、日本の伝統的帆船である打瀬船を復元した内海丸でした。そして、このとき内海丸に乗っていたのが、『打瀬船建造航海プロジェクト』を進めている“瀬戸内伝統航海協会”の代表理事・原康司さんだったのです。
この世界の片隅から(その2)
これまでは、ハワイアン・ルネッサンスのシンボルとなったホクレア号のこと、ホクレア号が日本へやってきた時に、打瀬船を復元した内海丸という船が、瀬戸内海でホクレア号に伴走したことをお話ししました。今回は、『打瀬船建造航海プロジェクト』についてお話しします。
3 打瀬船って知ってる?
4 原康司さんって知ってる?
原さんは、カヤックによるアマゾン河やユーコン河の単独下降、ベーリング海沿岸単独航海などを成功させてきた冒険家。今も、光市でカフェの店長をしながら、アウトドアガイドやカヤックによる瀬戸内縦断などに挑戦しているそうです。
また、中国電力が作ろうとしている上関原発を、“建てさせない山口県民連絡会”の事務局長も務めています。2009年12月に中国電力は、「埋立準備工事を妨害され損害を被った」として、住民ら4人に4千8百万円の損害賠償を求める訴訟を起こしましたが、原さんはこの4人の被告の内の1人でもありました。
5 『打瀬船建造航海プロジェクト』って知ってる?
原さんは、『打瀬船建造航海プロジェクト』について、次のように語ってくれました。
「70年代に始まったハワイ先住民の伝統文化復興運動(ハワイアン・ルネッサンス)は、ハワイの土地でハワイの先住民がよりよく生活できる権利を手に入れることへと繋がりました。ホクレア号は、そんなハワイアン・ルネッサンスの象徴であり、ハワイ人のルーツを証明することによって民族の誇りを取り戻すきっかけを与えた船です」
「瀬戸内海でも、先人たちが長きにわたって守ってきた自然環境や、築き上げてきた海洋文化が、この僅か数十年で急激に衰退し、永遠に失われようとしています。打瀬船の復活を通して、豊かな自然環境と海洋文化を再生したいと考え、『打瀬船建造航海プロジェクト』を立ち上げました。10年前に内海丸に乗ってホクレア号に伴走したとき、『次は君たちが、瀬戸内ルネッサンスを起こす番だ』との強いメッセージを、ホクレア号から受け取りました」
「このプロジェクトでは、ただ船を復元するだけでなく、瀬戸内海をはじめ、日本一周やハワイなどへの航海を通して、伝統航海技術を発掘・継承させたいと思っています」
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『打瀬船建造航海プロジェクト』には、資金調達だけでなく、クリアしなければならない課題がいくつもあるそうです。
例えば、打瀬船の船体に適した木材が日向地方にあることは分かっているが、その木を伐り出せる人がいるか? また、打瀬船の操船は3名程度で可能だが、その技術を持っている人は殆ど残っておらず、クルーの育成にも取り組む必要があるとのこと。本当に打瀬船を復活させることが出来るのか? ちょっと不安になりましたが、「大丈夫でしょう」と、原さんは大いに楽観的でした。
瀬戸内海から日本全国へ、そしてハワイや世界へとつながる海。『打瀬船建造航海プロジェクト』は、この海を通して私たちの大切なものを取り戻していこうとする試みです。ホクレア号のメッセージを瀬戸内の海で実践しようとしているこのプロジェクトを、少しでも多くの方に応援していただければと願っています。
この世界の片隅から(その3)
7 再びポランへ
“この世界の片隅から(その1)”の冒頭で呉での生活を結構エンジョイしている風に書きました。が「果たして私はきちんと暮らしているのか?」と思い知らされる出来事が最近ありました。
それは、他ならぬ“ポラン”代表の神足さんが出張の途中で呉に立ち寄って下さったこと。『打瀬船建造航海プロジェクト』に関心を示され“瀬戸内伝統航海協会”の原さんに一緒に会いに行くことになりました。
今回はカフェではなく、原さんのご自宅にお邪魔しました。海辺近くの狭い道を抜けると田んぼが目の前にある農家。原さんは、冒険家であり、カフェの店長であり、シーガイドであり、原発を作らせまいと頑張ってたり、打瀬船を建造しようと奔走したりと、すごいなと思ってたら農業もやってたのね。でも、きっとそれらは原さんの中で有機的につながっていることなのかも。
原さんちは少しうす暗く、廊下の突き当りにあったトイレは汲み取り式で、手洗いの水道は使えませんでした。私たちが帰る頃、外は真っ暗。外灯も無い。車までの数分の道のりも、原さんが「そこは気を付けて」「そこは大丈夫ですよ」と声をかけてくれないと、ほとんど歩けません。
そう言えば、昔は暗い夜道も外灯や懐中電灯無しでスタスタ歩いていたことを思い出しました。うす暗さは懐かしくもあり、人を落ち着かせもします。福島の原発事故後の計画停電や節電で、東京の夜の街がとても心地良かったことも思い出しました。
私も「原発反対」と言ってはいるけれど、便利さと快適さに乗せられて電気も水もジャブジャブ使ってる。いや、使わされている。・・・頭をガツンと殴られたような。どんなに戻りたくても戻れないと思ってた生活が、実に当たり前にそこにありました。原さんは単に言葉だけでなく、本当にかつての「豊かな海」の「豊かな生活」を取り戻そうとしているんだな、と感じました。
私の今の生活と言えば、道の駅に行けば新鮮な野菜や果物があるし、スーパーでも瀬戸内の海の幸が並んでるし、回転寿司でさえ地魚を扱っている。味噌も醤油も米も呉産。「地産地消で暮らしてるゾ!」と満足していたけれど、ひょっとすると農薬だらけの地場産野菜やらを食べているのかも知れない。養殖の魚や、添加物だらけの食材を食べているだけかも知れない。そして、スーパーのチラシをながめながら、少しでも安い物をと、ドンドン安きに流れてしまってるのかも。
神足さんからお土産に頂いたポランの食材を見て、「あー、私はこういう食材を三十数年も食べてきたのか」と思い、「(生鮮食品は無理としても)またポランから購入して、もう少していねいな食生活に戻ってみよう」と思ったのです。
「あなたの体は、あなたの食べたもので出来ている」というCMを思い出し、こればかりは呉でも広島でも見つけられなかった、さゆり米のごはんが炊ける匂い、天然酵母のパンが焼ける匂いを思い出し、少し涙が出たものです。
さらに今は、安さと手軽さでついつい買い込んでしまったインスタントでジャンクな食品を早く消費し、ポランのネット注文をする日が来ることを楽しみにしています。ただ、神足さんから頂いた沢山の調味料が、あと半年は持ちそうな気もしてるけど・・・。