ネットワーキング情報

震災関連の生産・製造・流通者etc. からのメッセージ集 2012

2012/01/09 (2012/10/11 更新)

【2012年】

10/11
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸さんより
東日本大震災 (福島原発事故) から一年半を経て
09/11
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野和義さんより
09/08
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝さんより
08/17
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝さんより
03/18
岩手県陸前高田市 河野千乃さん、千葉美瑠さん、藤井千恵子さんより
03/16
岩手県陸前高田市 八木澤商店 社員のみなさんより
03/07
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸さんより
日本が変わってしまって、一年
03/07
東京都小平市 I・K さんより
02/21「さゆり米の関係者のメッセージ」に続いて、より良い未来のために
02/27
長野県北佐久郡御代田町 尾関修さんより
02/21
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸さんより
3.11に向けて、さゆり米の生産者代表の原さんと生産者の中川さんからのメッセージです
02/13
岩手県陸前高田市より大船渡市に移転 産直グループ代表 上野孝雄さんより
01/28
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝さんより
01/28
熊本県津奈木町 津奈木甘夏生産者の会/(有)グリーンネット結、水俣病被害者互助会事務局 谷洋一さんより
水俣のこと、東日本大震災・福島原発震災支援のこと
01/09
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝さんより

2012年10月11日
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸

3.11から1年半余りが過ぎた。
昨年4月10日に会津の転院先で亡くなった次兄の葬式に行って以降10回以上帰郷したが、何が変わったのか実感できない。

いつも磐越道の小野で降りてから、阿武隈山地の斜面を福島市方向に向かう山間の道路で、船引・二本松を通り川俣、そこから東へ向かい飯舘村を抜けて南相馬市に辿り着く。以前は横浜から3時間半もあれば行けた所が倍近くも時間がかかる遠い故郷になってしまった。
壊れたままの防波堤から荒波が見える海岸沿いをゆっくりと走り、未だ見つからない同級生の家の跡でビールと線香を供える。それから両親と兄二人が眠るお墓で手を合わせ、次に亡き次兄の家に寄ってから、従兄の家に寄る。最後に65歳になった姉の住む仮設住宅で色々話し込む。姉は、3.11の3ヶ月前に亡くなった亭主の位牌を新調して一人で暮らしている。

昨年の末から、原ノ町と相馬間の20kmだけ電車が動いている。原町区の高校も再開した。ただ、車の動きは盛んになったが、人が歩く姿、特に子供達の姿を見る事はほとんどない。
若い人たちや子供を抱えた親たちの相当数が地域外に出てしまっている現実。姪の一人も相馬市の仮設住宅に避難したままだ。
云うまでもなく「放射能」。
ほとんどの市民が暮らし活動する平地の線量は比較的低く、関東の線量が高いと言われている所よりも低い。しかし年齢の高い大人は兎も角、子供を育てるには厳しい環境である。
東京電力福島第一原発の20kmから大体34kmの距離で南相馬市の人々は暮らしている。ほとんどの人は、3.11以降の原発事故の実際の現場の様子を身内や知人から聞いている。
壊れたままの原発の近くで、多くの命・財産・農地を奪い去った津波で破壊されたままの防波堤の間から見える海を眺めながら、「頑張って 頑張って」と言われ続けて暮らしている。
もう1年半以上だ。

これが南相馬の「フクシマ」の現実。

いつ終わるか見当もつかない現実。

飯舘村には飯舘村の「フクシマ」があり、
大熊町には大熊町の「フクシマ」がある
いわきにはいわきの……

中通り地方でも
福島市の「フクシマ」があり、
郡山の「フクシマ」がある
二本松にも……

震災前と変わらず平穏無事に暮らしている会津の「福島」とは別世界である。

2012年09月11日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野和義

今日は震災から一年半になる日なので、予めお知らせします。

一関市大東町に建設中の工場は、外構など含めてすべて完成するのは11月中旬になります。
そして、その前に工場そのものの引渡しは10月10日にできるようになりました。
1日でも早く仕事にとりかかりたいと思い、竣工式を10月13日(土)にすることにしました。
竣工式の後、なるべく早く丸大豆醤油の仕込みをする予定を組んでいます。
陸前高田の(仮)本社も、この9月末までには、通信環境も整うので、引越しもできます。
皆さんから、たくさんのご支援をいただき、本当にお世話になりました。
まだまだ、ばたばたしておりますが、今後ともよろしくお願い致します。

2012年09月08日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野 光枝

一年半ですね。

近況報告です。
間もなく気仙小学校で、校舎解体の前に、子供達と学校のお別れの会があるようです。
大人も子供も、現実を一つずつ受け入れて、一人一人が乗り越えて前に進んでいかなければいけないのでしょうね。
被災状況がみんな違うし、仮設に住んでいる人達もそれぞれ思いが違うので、精神的にこれから様々問題が出てきそうな感じがします。

八木澤商店も、温かい皆様のご支援に支えられて、工場もできつつあり、本社も陸前高田に帰ることができます。
様々なことが解決しないまま走り続けていますが、被災者の方々に少しでも明るい希望を見出してもらえれば良いのかな……

(2012/09/07 事務局返信)

『内部被曝を生き抜く』の事ですね
4人の内部被曝に関する知見を持つ医師へのインタビューと二本松市に住む家族への取材で構成したドキュメント
非常に短期間に制作・公開され、自主上映が全国でどんどん行なわれています

劇場映画公開とほぼ同時にDVDを発売し、このDVDに「自主上映権」を付与する斬新な手法で、それこそ10人規模から上映会を可能にして、成功していると見えます

岩手でも予定も含めて4回ほどスケジュール表に掲載されています

来週13日に八王子で行なわれる上映会 (の打ち上げ) に呼ばれていて、監督や上映会を企画した方たちと会う (飲む) ことになっています。何か新しい動きなど聞けたら、河野さんにもお知らせします

附記 河野さん 勿論ご存知と思いますが、鎌仲さんも八木澤本店オープンにお祝いのお花贈っていますよ

2012年09月07日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝

いつも情報をありがとうございます。

エネルギー問題は、ほんとうにむずかしいですね。
人間が現代に生きているかぎり、一人一人が意識していかなくては、いけないんでしょうね。

鎌仲監督が、又、映画をつくったようですね。
彼女のエネルギーはすごいですね

もう少し落ち着いていたら、自主上映会をしたいのですけれど…………

(2012/09/06 事務局から)

米国でシェールガスを採掘するために使われる水圧破砕法が、そのことで薬品が地層に染み込み、飲料水や、農業に使われる用水を汚染するということで、反対運動が起こっています

2012年08月17日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝

いつもありがとうございます。

「キャピタルホテル」のこと、私もテレビで見ただけで、くわしくはわかりませんが、今年は、無残な残骸となった建物全てが取り壊される予定で、高田の住人でも、何処に何が有ったかわからなくなりそうです。
復興に向けて前進するための1段階ですが、ちょっと、寂しさが心をよぎります。

数年後には、高田市内 気仙町では、住宅は高台に建てられことになると思います。
被災者は、そろそろ自宅を建たいと思っているようですが、もう、建設ラッシュで、3年待ちとも言われています。

気仙町では、今年は、新しい山車を義援金で作ることが出来、喧嘩七夕をすることができました。
15日には、川開きで、灯篭を気仙川に流し、慰霊をすることができました。
ばらばらになった、人の繋がりを、お祭りがつなぎ直してくれているように感じています。

瓦礫も随分片付いてきました。

八木澤商店の工場もかなりできてきています。
お店も高田市内にオープンすることができました。
本社機能は、光ファイバーが通じるようになり次第に移転することができると思います。

箇条書きのような、報告です。
皆様によろしくお伝えください。

(2012/08/16 事務局から)

「キャピタルホテル1000」再建のニースを読みました
来年6月にオープンだそうですね
又、利用できるかな。来年からは

2012年03月18日
岩手県陸前高田市 気仙小学校2年 河野千乃

おいしいおかしをありがとうございました。☆ ともてみんなよろこんでいます。
わたしもあまりにもおいしいので手も口もとまりませんでした。 おかしがあることによってしゅうちゅうしやすいと思います! なのでとってもしゅくだいが早くおわって、みんなといっぱいあそべるのでうれしいです。
これからもよろしくおねがいします!

(右画像:実際に頂いたお礼状)

2012年03月18日
岩手県陸前高田市 気仙小学校2年 千葉美瑠

たくさんのおかしをくださって
ありがとうございます。!
いつもでてくるおかしを、「おいしいな。」っていっつも思ってます。♪
ほんとうにありがとうございます。!!
また、いっぱいおかしをおくってください

(右画像:実際に頂いたお礼状)

2012年03月18日
岩手県陸前高田市 気仙小学校支援員 藤井千恵子

春寒しだいにゆるむ今日この頃でございます。

私は、陸前高田市気仙町にあります、気仙小学校の支援員をしております。
( 主に放課後の子供達の見守りの仕事です )

さて、このたび八木澤商店の河野光枝様を介しまして「ポラン広場東京」様よりたくさんのご支援をいただきました。
子供達は、大変よろこび、送られてきましたお菓子は大切にごちそうになりました。

気仙小学校の子供達は、学校が流失し、今は、他の小学校を間借りし、授業をしております。 放課後は、スクールバスにて帰宅したあとは仮設住宅の中にある集会所にて、学童保育の様に過して日々を送っておりました。 集会場で過ごす時間の中で子供達の楽しみといえば、おやつの時間でした。

おかげさまで、この子供達の見守り事業も三月をもちまして無事終了することができました。 四月からは別の形の事業が始まりますが、いただきましたご支援に感謝の気持ちをお伝えしたくお便りさせていただきました。
本当にありがとうございました。

2012年03月15日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 社員一同

いつもお心を寄せてくださりまことに
ありがとうございます。
田舎ではめずらしい有機カカオマスとココアバターの
チョコレートというなんて美味しいお心遣い!!
5月にしょうゆ工場建設着工、ちょとのびちゃったんです~(泣)
陸前高田に店舗の再開……。
一歩ずつ進んでいる実感がより強くなってまいりました。
こんごとも末永いお付き合いの程
よろしくお願い申し上げます。

(株)八木澤商店社員一同
(右画像:実際に頂いたお礼状)

日本が変わってしまって、一年

2012年03月07日
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸

3月11日が巡って来る。
東日本を襲った未曾有の自然災害と、「フクシマ」で起きた人類史上初めてと云うべき悲惨な人災。
日本が変わってしまって一年だ。
マスコミ報道のせいなのか、「津波は三陸、放射能はフクシマ」とのイメージが定着してしまった感がある。実際は、青森から神奈川まで地震・津波の被害は様々に受けている。放射能も未だ良く分からないが、ホットスポットと呼ばれる所は関東でも次々と明らかになっている。
何処に住めば安心して暮らせるのだろう。日本ってやっぱり狭いなぁ。

「生まれ 旧 相馬郡鹿島町南屋形字山畑五十八」 15歳で近所に引っ越して40年以上過ぎたのにまだ覚えている、なのに今の実家の住所は思い出せない。
「フクシマ」とは何ぞや?
浜通りのことなのか? んっ中通りか? 会津もあるなぁ。
まさか福島県全体のことなんてことは無いよなぁ。
福島県人にすれば「福島」は「福島市」って大体思う、「会津」でも「いわき」でも「郡山」でも「白河」でも「相馬」でもない。間違っても「奥只見」じゃないぞ。
そうか!!! 東京電力のあの原発の事なのか?
大手ゼネコン、大手重電メーカー、大手商社、…… 天下り役人たちが乗っかった大手ナントカカンタラが東電と組んで金を採掘している所か!?
今じゃぁ、「除染除染」とおまじないを言いながら採掘場所を広げてるなぁ。
「フクシマ」って金鉱だったのか。
でもなぁ、それにしちゃぁー福島県民は誰も喜んでないなぁ。
恨み言と苦しい呻き声と泣き声しか聞こえない。
東電を恨み、政府の無策に嘆き、見えない放射能の恐怖に慄き、明日の飯が食えない不安に押しつぶされ、支援物資を貰っては有難さに涙する。

ふるさとを離れた俺は、頑張れ!  応援するから早く自活しろ!  孫たちには必ずマスクをさせろ!
俺が送った米を食え! …… 勝手な事ばかり言っている。
自分の阿呆さにあきれかえる、頑張れる奴が思いっきり頑張れば良いことだ。
頑張るのは俺だ!
彼の地の大人も子供も老人も病人も、皆十分に頑張った。
よくぞ一年も踏ん張ったものだ。
3月11日が巡って来る。
さぁてこの先は……?

より良い未来のために、できることをやらなければならないと思っています

2012年03月07日
東京都小平市 I・K

私のメール(3/1付)を、中村商店さんと「緑と太陽の会」の皆さんへ送ってくださったとのこと、ありがとうございます。
汚染や被曝を恐れる人と、反・反原発の人との争いなどに、心が重くなるような思いをしていますが、なにより一番辛くて大変なのは、農作物を目の前にして、休めるはずのない農作業の中で、現実に痛めつけられている方達だと思っています。
「生産者と消費者の分断は、原発震災という人災の加害者当事者を利するだけ」 その通りだと思います。
今、消費者が汚染や被曝を恐れるのはあたりまえのことだし、特に小さいお子さんのいる方達は、敏感になって当然です。
また同時に、有機農業に取り組んできた生産者を大事にしなければ、この国の未来がないということも強く思います。
いずれも命や暮らしに真摯であるその両者を対立させて利するのは誰なのか、そうやって進もうとしている道はどこに通じるのか、しっかり見極めなければならないと思います。
私自身も毎日考えながら、疲れたり弱ったり、気持ちをたてなおしてまた顔をあげたり、をくり返しています。

震災後の「PODポラン広場の宅配」の皆様の取り組みに賛同しています。流通業というご商売の中で難しいことも多いと思いますが、どうかこれからもがんばってください。
とんでもない時代になってしまいましたが、より良い未来のために、できることをやらなければならないと私も思っています。

03/06 「PODポラン広場の宅配」 >>> I・K さんへ

「PODポラン広場の宅配」カタログ掲載のさゆり米生産者メッセージをお読みいただいてのメールをありがとうございました
お預かりしたI・K様の応援メッセージは、早速、さゆり米を流通している中村商店・蔵野さんと「緑と太陽の会」の皆さんにお届けしました
蔵野さんからは、折り返し「たいへん励みになります、ありがたい、直ぐに生産者に伝えます」と返信がありました
生産者メッセージにもあるように【さゆり米】の流通量全体では大きな影響を受けておりますが、それでもなおポラン広場東京の関連流通では人気No.1 のお米です。I・K様を始め多くの会員の方々に継続してご利用いただいております。誠にありがとうございます
「30年かけて築いた太い絆をさらに太い絆になる様、努力するだけ…」という生産者がおり、「これからもさゆり米を買います…」とおっしゃってくださる会員の方々がいらっしゃる。私共は、本当に生産者にも消費者にも恵まれて、有機流通の仕事をさせていただいているのだと、改めて感じております
生産者と消費者の分断は、原発震災という人災の加害当事者達を利するだけです。ポラン広場東京は、原発震災下の現実から逃げず一歩も退かない「生産・流通・消費のネットワーキング」を続けていきたいと考えております。困難に直面してなお、希望と可能性を語る人々の繋がりを大切にしたいと思います

2012年02月27日
長野県北佐久郡御代田町 尾関修

皆様お変わりありませんか。
最近、東京新聞、中日新聞に記事を書きました。ご笑覧下さい。

東京新聞・中日新聞 2月11日付掲載(12.3KB)
◇シューマッハー経済学の再考 (上) …… スモールイズビューティフル:原子力は、暴力的技術
東京新聞・中日新聞 2月18日付掲載(13.4KB)
◇シューマッハー経済学の再考 (下) …… 君あり、故に我あり:自然エネルギーは、不可欠

3.11に向けて、さゆり米の生産者代表の原さんと生産者の中川さんからのメッセージです

2012年02月21日
神奈川県横浜市 中村商店 蔵野浩伸

これまで再三お知らせした通り、福島県は以下の3地域です。
浜通り : 地震・津波・放射能に見舞われ、未だ生活のめどが立たない人が大勢いる地域
中通り : 地震被害そして阿武隈山地の西斜面の地域の数箇所で汚染農産物が出現した地域
会 津 : 目立つ被害が殆ど無く、放射性物質の汚染も関東の低い地域と同レベルの地域

マスコミは未だに「福島」と一言で片付けがちですが、実態は其々にかなりの意識差があります(浜通りだけを見ても、原発を誘致してきた双葉地方とそれ以外の近隣地域では被害者としての意識はまったく違います)。まず「福島」が元気になるには「会津」の元気が周知される事であり、その為にも「さゆり米」の復活は大切な事だと考えています。いまや風評被害?は、関東・東北全域に起きています。我々が消費者にどんなにメッセージを送り続けてもなかなか聞いて貰えない、或いは声の聞こえないところに去って行っていってしまっているのが現状です。それでも「さゆり米」を応援してくれる人はまだ沢山居られるわけで、そういう人たちの為に今後も生産者と共に前進し続けたいと考えております。 厳しい現状下での皆様のご支援に感謝申し上げますと共に、今後ともご協力の程何卒よろしくお願い申し上げます。

太い絆をさらに太く

2012年02月21日
福島県喜多方市熱塩加納町 緑と太陽の会 会長 原源一

「化学肥料・農薬を使わない米を食べたい」と言う消費者の方々との出会いから30年の長い様で短い30年でありました。それまでは無かった「顔の見える形」の販売形態が我々生産者にとっては「生産意欲が湧き、生きがいのある農業」と思って頑張って来ました。
当初は、有機農業の技術も乏しく、良い資材も少ない中、手探り状態でのスタートであり、イモチ病、ウンカの大発生、2年に一度の冷害と自然災害等に悩まされながらも大変な苦労を乗り越えて来たのであります。
それは毎年の様に行なわれた消費者・生産者交流会や消費者の方々から暖かい慰めや励ましの言葉が心の支えとなって歯をくいしばり、会員協力のもと頑張ってきたのが「緑と太陽の会」であります。 ところが、昨年の3月11日の東日本大震災・津波による原発事故以来、様相ががらりと一変してしまいました。県内の一部の地域から生産・出荷された農畜産物に放射性物質濃度が高い物が見つかり、出荷停止や出荷自粛の措置がとられました。
その後は、さらにきめ細かく出荷物全てを検査し、知事が安全宣言した矢先に、福島市近隣から自家保有米を中心に次から次と基準値を超える放射性セシウムが検出され、大ニュースになってしまいました。その後も毎日の様に福島原発事故関連のニュースが流れ「福島=危険」というレッテルを貼られてしまい、風評被害が拡大してしまいました。
幸いにして会津地方は、原発地より100km以上離れており、汚染濃度も少なく、空間放射線量は今現在、0.04~0.09μSv/hです。
米の刈り取り前の予備検査、出荷前の本検査でも全て「未検出」でありました。さらに我が喜多方市では、念には念を入れて市独自に300点を検査した結果、全て「未検出」でありました。これら細かいデータを提示しても全く理解されず、会津の米は全て敬遠され、殆ど動いていないと中村商店・蔵野さんから聞いております。
福島で発電した電気は地元では全然使われず、全て関東首都圏に送電して来ました。それなのに我々福島県人は、事故により放射能汚染と風評被害の二重の苦しみを味わっています。
"何故、我々はこんな苦しみを味わなければいけないのだろうか?"
30年間皆さんとの「太い絆」を誇りに思い頑張って来たにもかかわらず、何だか、だんだん離れて「絆」が細くなって行く様な気がして、やり切れない気持ちでいっぱいです。
本年度の転作配分も決まり、まもなく春作業も始まります。しかし現状を見た場合、作付けしても果たして売れるのだろうかと不安がつのり、生産意欲を無くしている人が増えている現状です。
あと何年続くのかと言う不安から光明が見えません。産地を元気にするのも、産地を消滅させるのも消費者の方々だと思います。そして、我々は30年かけて築いた「太い絆」をさらに太い絆になる様、努力するだけであります。

さゆり米30年の歴史はうらぎらない

2012年02月21日
福島県喜多方市熱塩加納町 さゆり米生産者 中川正一郎

幸いにも、私たち「さゆり米」を栽培生産している熱塩加納町では、原発の放射能汚染による影響も無く、生産販売できることは、生産者のひとりとしてほっとしているところでした …… が、中村商店・蔵野さんからのお話で、非常に消費者の購買意欲が低く、例年の3割、4割程度しかないということです。
熱塩加納町の有機栽培米はもちろん完全無農薬有機肥料栽培米であり、特別栽培米についても、農薬は7割減、化学肥料は9割減での栽培です。米生産団体の「緑と太陽の会」はその「さゆり米」の生産が認められ、環境に優しい農業の推進のモデルとして、平成7年度に「第1回環境保全型農業コンクール農林水産大臣賞」を受賞しました。
昭和55年より始まった有機農業の里をめざす取り組みは、米の生産ばかりでなく野菜にも広がり、今では、地産地消が当たり前ですが、平成元年4月より村と農協の協力により、熱塩と加納の小学校に、村で生産された安全で安心なお米の給食が始まり、日本で一番最初に実施されたと思います。今では当然野菜も殆どが地元産です。
肥料も、有機さゆり肥料を独自に開発しミネラル土壌改良剤や、稲わら分解酵素菌の使用などで、害虫やイモチ病にも負けないお米で、さらに「おいしい」といわれる「さゆり米」を生産しています。
この有機肥料の力は、平成5年の東北地方大冷害のときに発揮され「さゆり米」は収量においても殆ど影響を受けませんでした。今では、安定した収量と安全、安心の米が供給できるのも、有機栽培米・特別栽培米生産30年の歴史と経験によるものと自負しております。
今回の東日本大震災では、地震の被害も原発事故による放射能被害もなかった当熱塩加納地区のお米を、消費者、購入者の方には正しい理解のもと、誤った風評に惑わされることなく御利用、御購入をお願いしたいと思います。
「さゆり米」が始まり30年が経ちました。あのころ40歳だった方も、もう70歳を過ぎます。一般米の生産より手間もかかり(特に除草)、有機肥料に手間も余計にかかる米の生産は、近年の生産者米価の極端な低米価に耐えられなくなって、会員数も減少しているのが実状です。
有機農業30年の歴史が消えてしまうことの無いよう、誇りをもって生産できるよう是非に、消費者の方の応援をお願いします。

「緑と太陽の会」様へ
「緑と太陽の会」会長の原さんの言葉を読み、そして……

2012年03月01日
東京都小平市 I・K さんより

「PODポラン広場の宅配」会員です。
宅配のカタログNo.210の、「緑と太陽の会」会長の原さんの言葉を読み、その悔しさを改めてかみしめています。
私は、震災前からずっとさゆり米を購入してきました。
福島県とはいえ会津地方は空間線量も低く、原発事故の影響が大きくなかったことは当初からわかっており、また、測定が行われて不検出のデータも確認できたので、他のお米に替えることなく、震災後もさゆり米を購入しています。
世間的には、福島県産、あるいは、東北産、関東産というだけで、それらの農産物を買わないと決めている消費者がいることも承知していますが、少なくともポラン広場の宅配から購入する人達は、そういう単純なくくりではなく、ひとつひとつのデータを確かめて冷静な判断をしていると思っていたので、そういうわけでもないようだということを、「緑と太陽の会」会長の原さんのお言葉を読んで知りました。
「緑と太陽の会」の方達からすれば、なんと理不尽な、裏切られたような思いがすることだろうと思います。
ただ、これまでの政府の説明や原発事故後の経緯を見るにつけ、「風評被害」という言葉ですべて説明がつくものでもないとも思います。
信頼関係を築いてきたはずの生産者と消費者を分断するものは何なのか、そこのところこそ真剣に見つめなければならないと思います。
私はこれからもさゆり米を買いますし、「福島産のものは買わない」と言う人がいたら、そういうことではないと思うという話をするようにしています。
「緑と太陽の会」の皆様が、これまでどおりのお仕事を続けられることを祈ります。
私一人の力がなにほどのものでもないことを自覚しつつ、応援しているという気持ちをお伝えしたく、メールしました。
4月には会津地方への旅行も計画しています。

2012年02月13日
岩手県陸前高田市より大船渡市に移転
産直グループ代表 上野 孝雄

平素は格別のお引立てを賜り厚く御礼を申し上げます。
昨年は多大なるご支援ご援助を頂き、誠にありがとうございます。

去る3月11日は、あまりの大惨事を受け入れることができず、「夢であれば」と祈りました。
しかし目の前の光景は、車・電柱は倒壊、建物は瓦礫の山と化し、集落はことごとく破壊。
この光景を見て絶望し、自然の莫大なパワーを目の当たりに人間の無力を悟りました。
「自然は作れない。だから壊せない。」の言葉を痛感しました。
落ち込む自分を奮いたたせたのは皆様からの温かい励ましの言葉。
そして自衛隊、消防隊、警察、各ボランティアの方々の献身的な行動でした。
その温かいご支援に報いるためにも、早期再開を決意。
事業再開に向け測量・許認可等々に奔走いたしました。
震災直後の多忙な中、皆様方のご協力を得て業務再開に漕ぎ着けることが出来ました。

まだまだ以前のように三陸前浜産の自社製品のみでの発送は出来ませんが、漁民に船が揃い、操業が再開すれば自社ブランドで「美味しさ」をお届け致します。

23年間の思い出いっぱいの建物は鉄骨のみ残して海に奪われましたが、「日はまた昇る」のたとえのように1月10日に再稼働する事が出来ました。
本当にありがとうございます。
今回の事を糧に、より一層の努力を重ね邁進する所存です。
今後とも変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。

2012年01月28日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝

ポラン広場東京の皆様、お元気ですか。

今朝は、マイナス12℃ さすがに寒いです、一関は。

フォレストさんのリサイクルガラスのお皿をお送り頂き、ありがとうございます。
蛍光灯のリサイクルとは、さすがー!!と、感動です。
数年後に家を建てることができたら、このお皿を使いたいなーと思いました。

昨日で、八木澤の原料処理の建物がほとんど解体されました。

周りの瓦礫も撤去されたら、古い八木澤商店は、どこに存在していたかもわからなくなるようです。

学童保育の子供達も、皆様から送って頂いたおやつを楽しみながら宿題をしているようです。

三陸イルミネーションも、少しずつ寄付の申し出を頂いて、今年は少し街灯を増やしていけそうです。

関東方面も大きな地震の予想が速まったようですね。
皆様、油断無くお過ごしくださいますように。

(事務局から)

河野光枝様

先日(20日) に河野通洋社長の訪問を受け、近況をお話いただきました
【国産丸大豆醤油】【おらほの味噌】【ふるさとの味噌】【味付ぽん酢柚子】に続き、八木澤商店自社製造の【丼もののたれ】と【濃縮 つゆ】の取扱い開始も伺いました。社長のお元気な様子、心強く思いました

以下のことを、1月24日のニュースで知りました

三陸の海を放射能から守る岩手の会」 東電と経営陣3名を「公害罪」で東京地検に刑事告発

HP 「岩手、宮城、青森の市民9名は1月24日に東電勝俣会長、清水前社長、武藤前副社長と会社を「公害罪」で刑事告発します。
3月11日の福島第1原発事故により、放射性物質を放出し広く環境を汚染させた行為は「人の健康に係わる公害犯罪の処罰に関する法律」(公害罪) 第三条、第四条に該当するものと判断できるためです。
事故によるとてつもない放射能汚染により福島では約15万人が避難生活をしています。
双葉病院では避難時に死者が出ております。
しかし東電は何ら責任が問われず、罰されていません、この国は社会正義がなされない国なのでしょうか。
このような犯罪行為の責任が問われない国では国存在の意義を失ってしまいます」

国存在の意義。国存在とは、
その1 世界が認める「領土」があること
その2 「民」がいること
その3 民が主権を持ち「統治」できていること

現下の状況では、この国はありやなしやと撃たなければなりませんね

寺山修司の戦争を背景にした歌が浮かびます
「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」

水俣のこと、東日本大震災・福島原発震災支援のこと

2012年01月28日
熊本県津奈木町 津奈木甘夏生産者の会/(有)グリーンネット結
水俣病被害者互助会事務局
谷洋一

私どもの暮らす熊本県葦北郡津奈木町は、天草の島々を望み、不知火海に沈む夕日が美しい地域です。海沿いの段々畑には、黄色く色づいた甘夏やデコポンなどの中晩柑類が、収穫の時を待っています。
今季の柑橘は昨年夏の暑さが長く続き、秋らしい一日の寒暖差が大きい時期が少なく、そのまま冬になりましたので、色づきや熟成が例年より2~3週間は遅れたようです。しかし、採集したみかんの味は良いです。大きな災害もなく今年も柑橘類を収穫できることに感謝しております。
しかし、昨年は、3月の東北地方太平洋沖地震と大津波に始まる東日本大震災・福島原発震災という未曽有の大災害が東日本を襲った年でした。

◇ 水俣から東北 (山形) へ支援物資を届ける

私共も、3月中旬、神戸の被災地NGOセンターからの要請を受け、現地での緊急支援物資輸送のため、生産者の2トントラックを山形県米沢市に3ヶ月間貸出し、水俣・津奈木から甘夏等の柑橘類や霧島新燃岳の被災地から届けられた大根などの野菜類や毛布・ストーブなどの支援物資を米沢市体育館に届け、福島各地からの原発事故により避難されている500人余の方々ために物資を配布すると共に、山形から宮城県塩釜、仙台市内、福島県南相馬市などの食料品や支援物資輸送をおこなってきました。
そこで見た被災地の現実は、地震によって倒壊した家屋、津波によって何もなくなってしまった海岸線の街や村々でした。

◇ 福島で水俣の悲劇が繰り返されている

その後も福島原発事故による高線量の地域が拡大していく中、56年も前の水俣病の教訓は生かされることなく、そのくり返しが福島で進行しているのが現実でした。飯館村など多くの被曝を受けている現実が村民に伝えられるのは、一ヶ月近くたってから、放射性物質による汚染水は海に垂れ流し続けられ、正確な汚染のデータは今も公表されていません。安全基準は次々と引き上げられ、子供たちへの被曝は益々深刻化しています。
56年前の1956年(※)、水俣では水俣奇病の公式確認後、魚介類が汚染源とわかり、保健所など地元の関係機関は食品衛生法による魚介類の捕獲、流通、販売を規制すべきとの意見が多くありながら、厚生省は1957年9月に「水俣湾産魚介類がすべて有毒化している証明は得られない」としてその適用を見送りました。その1年後には新たな患者が発生。新日本窒素は排水路を北側の水俣川河口に変更し、不知火海全域へと被害は拡大しました。水銀が原因と分かった以降も漁獲規制や販売規制などの有効な対策は取られることなく、被害は拡大していったのです。

※ 1956年5月1日 水俣病発生の公式確認 → 68年9月 水俣病公式認定

◇ 水俣の教訓を福島に伝えたい

補償をめぐる問題でも、被害者の声は無視して、「有識者」と称する審査会が勝手に賠償額を決め、さも適正であるかの様な基準を決めています。被害の全容解明も行わず、ただいくらかの金を渡して、補償を打ち切るやり方は、1959年12月、水俣での後の訴訟判決で公序良俗に違反すると断罪された見舞金契約と同じ思想です。原因が分かっても新たな請求は認めないとする考え方は到底容認されるものではありません。まず、おこなわなければないのは、加害責任の検証であり、被害の全容解明の努力です。補償は一時的仮払いとして、被災者の暮らしを維持する「一時金」でなくてはなりません。
もう二度と故郷に戻れない多くの人々を生み出し、数十年先のがんの恐怖と闘わなくてはならない数十万の人々を生み出した現実を直視する必要があると思います。
今後とも、被災者への支援や水俣病の教訓を被災地へ届ける活動に取り組んで行きます。
今年もよろしくお願い致します。

★ グリーンネット結 (津奈木甘夏生産者の会) は、農薬に頼らないみかん栽培を目指して、1980年代に結成され、1992年には農薬・化学肥料不使用の有機栽培を実践し、現在はほとんどの園地で有機認証を取得しています。

★ 水俣病は終わらない
昨年、2004年10月の関西訴訟最高裁判決により新たな申請をおこなっていた被害者の一部訴訟などで国・熊本県・チッソと和解が成立。約6万人近くの被害者がわずかな一時金と医療費が負担されることで闘いに終止符を打ちました。
しかし問題はまだまだ終わっていません。国・県・チッソを被告とする国家賠償請求訴訟も熊本と新潟で継続中。熊本では第2世代訴訟として胎児期にメチル水銀の影響を受けた被害者らの病像やその影響をめぐる論争が今も続いています。私どもの生産者も原告に加わって闘い続けています。
また、棄却処分を受けた方々がその取り消しと認定を求める訴訟も2つが係争中で、この春にも高裁判決が続きます。
加害責任の検証も、被害の全容解明、認定制度の抜本的見直し、被害者への医療・福祉施策の充実など課題は山積みです。
今後とも皆様のご支援をお願い致します。

2012年01月09日
岩手県陸前高田市 八木澤商店 河野光枝

ポラン広場東京の皆様、お元気ですか。

昨年からの避難先、一関市大東町は寒いでーす!!
この一関と陸前高田では、3℃~4℃くらい温度差があります。
雪景色は、道産子の私はとても好きですが、義母は、寒くて悲しそうです。

この度は、子供達に沢山のお菓子をお送りいただき、有難うございます。
皆様の暖かいお心にただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
子供達は、一見元気そうになってきていますが、勉強机を置く広さのない仮設住宅に住んでいる子供達や、お母さん方にとって、避難所の集会場での学童保育は有難いことです。
頂いたお菓子は、集会所で子供達の面倒を見ていてくださる方に託します。

昨年の12月23日に”三陸イルミネーション”の点灯式をしました。写真を添付します。

又、以前にお知らせした気仙町のミニ集会所「小さな積み木の家」も完成しました。

ところで、日本の原発 まだまだすっきりしませんね。
こんなにたいへんな経験をしても、まだ推進しようとする人達がうごめいているのは、日本人として恥ずかしいなー!!  です。

それでは、本年もよろしくお願いします。

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