有機農業の原点に触れる … 有機農業・有機野菜って、なんでしょう

京都大学農学博士 西村和雄

01.有機農業っていったいなんでしょう

〇はじめに

有機農業とは、いったいなんでしょう。わたしが有機農業や自然農法にかかわってから、およそ30年にもなりますが、この間ずっと有機農業にたずさわりながら考えてきました。

一般的には、有機農業は「農薬や化学肥料を使わず、健康で安全な農産物をつくること」と考えられ ています。しかし、ほんとうにそれだけでよいのでしょうか。結論からいいますと、けっしてそれだけではありません。では、有機農業とはなんなのか?それを 説明するまえに、わたしの有機農業に対する考え方が、どうかわってきたのか、たどってみることにします。

〇有機農業の定義

むつかしいかもしれませんが、有機農業をどう考えるかは、有機農業を実践するからにはもっともたいせつなことです。

わたしの動機は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』に出発点があります。虫を殺せる農薬が、人体に安全なわけがない、そういう素朴な考えから、安全な農産物をつくる農法としての、有機農業にのめりこんでいったのです。

そのとき、有機農業の「有機」という言葉は、いったいなにを意味するのだろうと、まず考えたのです。「有機農業」という言葉は、英語の「Organic Farming(オーガニック・ファーミング)」の直訳です。では、英語の「Organic」とはなんだろう。大学の附属演習林に在籍するまえ、わたしは植物栄養学という研究室にいました。わたしの専門は土壌肥料学です。ナントカ学とつくのは、実のところあまり好きではありませんし、大学以外ではあまりたいした意味も持っていません。ま、そんなことは、どうでもいいのですが、ただ、そのころのわたしの知識では、Organic=有機物と、単純に考えていました。

有機物をもちいて地力の維持と増進をはかり、化学肥料を使わずに農業生産が可能な土にすること。それが有機農業だと考えていたのです。

〇私の有機農業観

土に有機物を入れることの意味。それは土の中にいる、いろんな生物の、種類と数をできるだけ多くすることに他なりません。ミミズ、ヒメミミズ、センチュウ、ダニ、トビムシ、バクテリア、カビなど、いろんな生物が住める環境をととのえること。それが、私の有機農業でした。

有機物は、土のなかに住んでいるいろんな生物の、いってみれば食べ物です。人間に好き嫌いがあるのと同じように、土のなかの生物にも、有機物によっては苦手な食べ物もあるのです。

いろんな生物がいて、そしていろんな有機物が土の中に入ってゆくことによって、土は豊かになり、健康になり、それがひいては健康な作物を育てることにもつながるのではないか。そう考えていました。

右に土のなかに住んでいるいろんな生物の例をあげておきましたので、参考までにみてください。

有機物といっても、イネワラ堆肥からバーク(樹木の皮)堆肥、鶏糞や牛糞のような家畜廃棄物、ボカシ肥(※)の材料となる米糠、油粕、魚粉など、クローバ、レンゲ、ソルゴー(イネ科モロコシ属の飼料作物)などの青刈り、刈り敷き用の草など、じつにいろんなものがあります。それぞれ窒素やリンの含量もちがいますし,なによりもちがうのは、有機物の主成分である炭素含量です。こうした成分のちがいによって、有機物の分解の仕方はさまざまにちがってきますし、それを分解してくれる生物もちがってくるのです。
(※)ボカシ肥 … 有機農業では堆肥を土に施すことが大切ですが、堆肥は遅効性でゆっくりと土の中で働きます。これに対して、ボカシ肥は速効性の肥料として作物に有効です。

有機物をうまく使いこなす方法。それが有機農業では、いちばん問われるむつかしいことになります。化学肥料の施肥基準なんぞはまったくあてになりませんし、なによりも作物をよくみて、作物がどういう状態にあるか、なにを欲しがっているのかを見極めるだけの資質と能力が問われます。また、土がどんな状態にあるのか、土がどのていど豊かになっているのか、といったことも自分で確かめなければなりません。

地球上のすべての生物は、人間も含めて、太陽のエネルギーを光合成によって固定してくれる、植物があってこそ、生きていられるのです。いや、生かされているといっても言いすぎではないでしょう。

〇有機農業のめざすもの

わたしたちが無尽蔵にあるとおもって、使いまくっている石油にしても、大昔の植物が固定してくれた太陽のエネルギーです。

今、わたしたちは大昔に土に埋もれてしまった、太陽エネルギーの缶詰を、あちこちから掘り出しては、使っているのです。石炭もおなじことです。現代科学文明が、これほどまでに発達したのは、太陽エネルギーの缶詰を利用できたからに他なりません。しかし、いずれ缶詰は底をつきます。そうなるまえに、もっと有効にゆっくり使うことを考えなければなりません。今、世界中でおこっている環境問題の原点は、太陽エネルギーの缶詰を、浪費することからはじまっているのでしょう。

現代農業は、化学肥料・農薬・耕作機械すべてが、缶詰のおかげでまかなわれているといっても過言ではありません。ひどいことに、作物が固定してくれる太陽エネルギーの量よりも、たくさんのエネルギーをつかっているのです。

有機農業がめざしているのは、エネルギーの缶詰をできるだけ使わずに、太陽のエネルギーだけを出発点とし、食物を生産してゆこうするところにあります。

それはけっして江戸時代に戻れとか、手間のかかる堆肥をつくれとか、ということにつながるものではないのです。そうではなく、篤農家の知恵と技術を、うまくくみこんで、できるだけにエネルギーを無駄使いせずに、効率のよい農業生産をやってゆこうではないかという、あたらしい生き方ではないでしょうか。

有機農業の世界には、病原菌とか害虫、雑草といった言葉はありません。これらの言葉は、作物を害する生物に、人間が勝手につけたのです。そうなるような方法しか、現代農業はできなかったのです。そうではなくて、害虫をタダの虫にする。病原菌をフツーのカビにする。タダの草にするという発想の転換が必要なのです。

森をみてください。自然なかでは、病原菌や害虫、雑草がいるでしょうか。みんながお互いをみとめて,いっしょに生きているではありませんか。え?マツクイムシはどうなるのだって?もし、マツクイムシが日本中の松を食い殺したら、マツクイムシもおしまいです。だから、マツクイムシはけっして、松を全滅させたりはしません。生物は、人間のように残酷ではありませんから、「ぶっ殺してやる!」などという野蛮なことはしないのです。なぜなら「満腹したオオカミは人間を襲わない」からです。満腹しているのに、遊びでほかの生物を殺すのは人間だけです。おまけに同士討ちまでするし、どうやって大量にぶっ殺すかの兵器開発にいっしょうけんめいなのも人間だけです。

地球上のすべての生物には、生きている意味と意義があるのです。そして、生物の世界には無駄はありません。そのことを十分に理解し、人間も生かされているのだという謙虚さを学び、すべての生物とともに共存するという生き方をも身につける実践の場所が、有機農業だとわたしはおもいます。

英語の「Organic」の意味は、決して有機物だけを指すのではなく、地球上のすべてがお互いにつながり、連携しあっているのだということではないでしょうか。

月刊ポラン1999年9月号より転載

02.健康な土・健康な野菜 (1)

〇根が生きているという意味

今年(2002年)の早春、じつに見事な大根を見た話から始めましょう。栃木の有機栽培の農家(ポラン広場の生産者)を訪ねたときに、出荷2週間くらい前という大根がありました。その大根がですね、なんと驚いたことに、肩のところに、双葉、発芽して最初に出てくる子葉、カイワレですね、その双葉がつやつやとした緑色をして、厚さが2ミリ、幅は5センチくらいはあったろうかというほどに、大きく成長して付いていたのです。

ふつう、本葉がざっと出てくれば、この双葉はたいがい黄色くなって枯れて、太くなった大根の肩に ベチャッと張り付いているか、脱落して消えてしまうものだというのが常識です。ところが収穫の間際まで、大きく成長して付いていた、これは何を意味しているかというと、双葉につながっていた根がずっと生きていたということなのです。脱落するということは、途中でその根が死んだということです。

この双葉につながっている根は、どこにでているのかというと、発芽したときに、土の中をまっすぐ下に向かって伸びはじめる主根の横に、養分を吸収するための側根がでるのですが、その最初に出る側根が、双葉につながっている根です。こっちの葉はこの根、こっちの葉はこの根というように、それぞれ別の根につながっています。この最初にでた根が最後まで生きられたというのは、それだけ畑の土が健康だということになります。これが本当の意味での作物の育ち方であるし、土の在り方ではないかなと私は思います。

ここで、根のでかたについて少し解説しておきます。植物の根というのは、葉っぱと茎の下にわっとついているわけですが、その根のひとかたまりが地上部全部に栄養分をさっと送っているのではありません。大根の双葉のところでも書きましたが、この根は上ではこの葉につながっている、この根はまた別の葉に……というふうに、それぞれ根と地上部の葉とは、維管束という養分・水分のパイプを通じて、密接につながっているのです。

わたしが何年も作物を見つづけていて分かったことなのですが、ある根に障害が起きると、地上部ではその根とつながっている葉の葉脈が欠けたり、葉が対称的にならずに、部分的に縮んだりいじけたりするのです。根の一部が根きり虫にかじられたりしても同様におきることです。また、葉っぱが1枚ずつ生長していくと、その葉っぱにつながっている根が同じように生長していきます。もし肥料が偏っていると、その肥料の下の根だけが過剰に養分を吸収して、その根につながっている葉っぱだけが大きくなります。へたをすると葉っぱの片側だけが大きくなって、片側は全然生長しないという、往々にしてそういうことが起こりえるわけなのです。

〇健康な土

・土壌生物の種類も数も多い土

次に健康な土というのはいったい何なのだろう、ということです。まず土の健康を支えているのはいったい何なんだ、それは土の中のいろんな生物です。微生物、細菌、ミミズ、ダニ、トビムシとか、いろんな土壌生物、これらがトータルで種類も数も多いほど土は健康に育っているというふうに考えていいと思います。

有機農業では、土の中にいろんな有機物が入っていくように、堆肥を入れたり、緑肥作物を育てたりして、いろんな生物が、種類も数も増えていく方法をとるわけです。そういう健康な土にすれば、仮に土壌の中に病原菌がいたとしても、その病原菌が作物にとりついて被害を与えるほどには繁殖しないということです。いろんな種類の生物がたくさんいるということは、それが抑止力となって働くわけです。ちゃんと土ができてくれば、トマト、ナス、エンドウ豆など、連作障害がものすごくキツイといわれている作物でも、連作障害がでない、そういうことが起こりうるわけですね。こういう連作障害の起きないような、いろんな生き物が繁殖するような土になれば、作物はおのずとその肥沃な土壌で本当の育ち方をするということです。

・いい匂いのする土

有機栽培の畑の土はものすごくいい匂いがします。土本来の匂いというのは、放線菌が出す匂いなのです。カビの匂いとはちょっと違います。この放線菌というのは土壌の微生物のなかでいちばん数が少ない微生物です。その微生物が匂うということは、他の微生物がたくさん棲んでいるという証拠なのです。

数年前、消費者の人たちと有機栽培の畑に行ったときのことです。農道をはさんで反対側の、キャベツとネギの専作をしている、化学肥料と農薬をバンバンかけている畑の土をちょっと失敬して匂いを嗅いでもらったんです。そしたら土の匂いがぜんぜんしない。土の匂いがしないということは、放線菌がいないということで、ほかの微生物の種類や数は推して知るべしということです。こんなふうに土の匂いひとつとってみてもこれだけ違うことがありえるわけです。

しかし、土の匂いはしなくても、その畑のキャベツやネギもちゃんと育っています。それはなぜかといったら、化学肥料と農薬に支えられて育っているわけです。そこの土は実質的にはもう死んでいるのです。土壌生物がほとんどいない状態。したがってそういう土がずっと続くことは、私はありえないだろうと思うわけです。そこで作物をつくろうと思えば、化学肥料をいっぱい入れて、農薬をかけないとやってられないとわたしは思います。

・緩衝<かんしょう>能力の高い土

土が健康であるということは、緩衝能力が高いという意味でもあるのです。緩衝能力というのはショックを緩める力というふうに考えていいと思います。緩衝能力が高いとどういうことが起きるかということを、土の酸度、pH(ペーハー/7.0が中性)を例にあげて説明します。

ホウレンソウは酸性土壌では作れないとよくいわれます。それでも在来の日本ホウレンソウの方が、あとから入ってきた西洋ホウレンソウよりも酸性土壌には強いのです。ここに同じような土壌で、同じ5.5のpHの土が2種類あるとします。5.5は日本のホウレンソウが生育できるギリギリのpHです。ホウレンソウの種を蒔いたら、Aの土はやや生育が悪いものの、そのままずっと育ってちゃんと収穫できました。Bの方は本葉が2、3枚できたところで元気がなくなり、真っ黄々なって最後は枯れてしまったのです。

さて、おなじpHの土なのに、どうしてそんなに違いが出てしまったのでしょうか。これが緩衝能力の違いです。土壌の中の養分を作物が地上に吸い上げると、ホウレンソウだけでなく、どの作物でもそうなんですが、根の周りの土のpHが1ぐらい下がります。このとき、緩衝能力が高い土だと、下がったpHを即座に元に戻すだけの余力があるということです。体力があるといってもいいでしょう。そういう回復力のある、緩衝能力か高い土、それが私がいう健康な土なのです。そういう土ができれば同じpH5.5でもホウレンソウはちゃんと育つのです。緩衝能力のない土のホウレンソウは低いpHに耐えられなくて、根から腐っていくわけです。

土壌診断に行くと、「あんたんとこpH低いよ、石灰入れなさい。そうしないとホウレンソウ育ちませんよ」といわれるのがふつうですが、本当にその土が緩衝能力が高いかどうか判断はできないわけです。だから安易に石灰を入れて土の酸度を中和するのではなくて、私たちは健康な土にするような方法を取ればいいということです。

緩衝能力は、pHのような土の化学性にいえることですが、他にも生物的な意味合いでも使うことができます。生物的な意味での緩衝能力が高い土とは、連作障害を起きないか、おきにくい土です。また、土壌病原菌の抑制をする能力の高い土、こうした土壌のことを、抑止型土壌ということもありますが、要するに健康な土なのです。

〇健康な野菜・おいしい野菜 ~ 有機栽培と慣行栽培・その違いと見分け方(1)

それでは、健康な土に育つ健康な野菜・おいしい野菜というのは、どんな野菜をいうのか、いくつか例をあげてみましょう。

・「刃応え」のある野菜は、煮るとやわらかい

有機栽培の野菜はですね、大根の場合ですと、切るときに堅くて、煮るとしっかり味がしみ込んで、口の中で溶けそうにやわらかくなるのです。これはなぜかというと、腹八分目の栄養素でしっかりと、着実に育ったからこそ、細胞のひとつひとつの構造がしっかりしているということなのです。それが「切るとき堅い」という表現、つまり「刃応え」になるわけです。

細胞の壁はセルロースとヘミセルロースという繊維質と、ペクチンという水に溶けてしまう糖分、この3つで構成されています。その細胞壁のセルロースとヘミセルロースというのは、建物でいうと鉄筋にあたるわけです。ペクチンはその間を埋めているコンクリート。鉄筋とコンクリートの配合比率がきちんと組み合わさっていれば、ものすごく細胞壁は堅いわけです。それを煮るとすぐにやわらかくなくなるというのは、ペクチンがサッとお湯に溶けるからです。だから火が通りやすい。

これが乱雑に鉄筋とコンクリートがですね、手抜き工事になったとすれば、鉄筋ばかりのところとか、あるいはコンクリートばかりのところなんかができるわけですね。そうすると切るときになんかスカスカなのに、煮るのに手間がかかって、あまりやわらなくならず、食べると筋ばって歯に引っかかったりするということになります。「刃応え」は、大根だけでなく、野菜全般についてもいえることです。

・浸透圧が高い野菜は、甘みがある

(例)チンゲンサイの軸と大きさを比べてみる

2つのチンゲンサイの軸を見てみます。図体の割に軸が大きいのが有機栽培、図体の割に軸が小さいのが慣行栽培。なぜこれだけ軸の大きさが違うかというと、化学肥料というのは非常に吸収しやすい成分でできていますから、慣行栽培の方は根をそんなに発達させなくても、やすやすと土から吸収できるわけです。ところが有機栽培ですと、薄めの養分が土の中に散らばっていますから、それを吸収しようと思うと根をたくさん張らなければなりません。ちょっと難しい話になりますが、作物の根から地上部まで、全部含めて浸透圧(※1)を高くしないと薄い養分を吸い上げることができません。そこで浸透圧を高くするために作物はどうするかというと、体の中に糖分を溜めるわけです。それが甘味とかおいしさの1つの原因になっています。
(※1)浸透圧 …塩水や砂糖水のように、水に溶解する物質が溶けている濃度が高いほど、その方に向かって水が移動する力が強いことをいいます。ナメクジに塩をかけるとしぼんでしまうのは、ナメクジの体よりも塩の方が浸透圧が高いために、ナメクジの体から水分が出てきたからです。この原理で漬物ができるのです。

また、軸の小さい慣行栽培の方は別に浸透圧を高くしなくとも、わりとすんなり化学肥料を吸収できます。この浸透圧の違い、つまり糖分の違いがですね、こういう軸の大きさの差になって出てくるというわけです。そういうところで、本物の野菜と栄養過剰でぶくぶく太った野菜の違いが出てきます。一見、大きい慣行栽培の方がおいしそうに見えますが、栄養価は少ないのです。私たちの健康を維持するという食べものとしての役割があるのは有機栽培のチンゲンサイです。
(キャベツや白菜などの結球野菜は、有機栽培の方が小振りになります。この理由は次回で)

(例)玉ねぎの肩を押してみる

刻んだ玉ねぎを試しに食べてみます。1つは甘味が感じられて、もう1つはピリッと辛からかったとします。なぜこうも違うかというと、甘味の成分は糖がほとんどです。で、それは何かというと、先ほどの浸透圧です。

玉ねぎの見分け方のコツは、玉の真上の切り口の真横、この肩のところを押してみます。そうすると、すぐにカンとあたる、つまりぼこっと沈まない、ブカブカになっていない玉ねぎというのは、浸透圧が高くて、甘味の成分が多く、水分が飛びにくい、収穫してから水分が飛びにくいということは、それだけ日持ちがするということ、これが健康な玉ねぎです。こちらは体の栄養になります。

指でぼこっと入るのは、栄養過剰で野放図にブカブカに育っているということです。浸透圧が低いから水分が抜けやすくて、したがって甘味も少ない。これは慣行栽培の玉ねぎに多い。窒素肥料が多すぎて、大きさは大きいけれど、あまり体の役にはたたない玉ねぎです。ここがぼこっとへこむものほど、切ったとき、断面に茶色くズルっと腐っているところがあったりします。

月刊ポラン2003年1月号より転載

03.健康な土・健康な野菜(2)

〇健康な野菜・おいしい野菜 ~ 有機栽培と慣行栽培・その違いと見分け方(2)

・葉の色が濃い方が良い野菜だと思ったら大間違い

2つのチンゲンサイの葉っぱの色を見比べてみます。葉っぱの色が薄いのと濃いものとがあります。これは何が違うかというと、葉っぱに含まれる窒素の量が違うんですね。どちらが本物かというと、実は葉っぱの色が薄い方です。皆さんは多分誤解していると思うのですが、葉色の濃いほうが葉緑素が多くて、栄養価も高い、良い野菜と思われがちなんですね。ところがそれは大きな間違いです。

土壌の中に肥料分の窒素がたくさん入って、作物が過剰に窒素を吸収すると、葉っぱの色はどんどん濃くなっていきます。この濃い緑色の野菜は茹でると色落ちしてしまいます。茹で汁の中に色がでてきます。それは葉緑素ではないのです。葉緑素の色というのは、本来はそんなに濃い緑色をしているわけでは決してないのです。葉緑素以外のいろんな色素が混ざって、濃い緑色になっているわけです。

色の薄い方は茹でたら緑色がもっと鮮やかになります。もっときれいになります。そして茹で汁のなかに色はあまりでてきません。ちゃんと育った理想的な野菜の色というのは、5月の新緑の色というふうに考えていただきたいと思います。あんなに薄い色でほんとうにいいのか、栄養が足りないんじゃないか、と思われる方が多いと思うのですが、はるかにこちらの方が栄養価は高いし、おいしいです。しっかり健康に野菜が育つということは、その中に含まれているビタミンとかいろいろな栄養成分がしっかり入っているということです。

本物の野菜というはの、葉っぱの色が薄くて、なおかつ艶があること。そうして、葉がしなっとせずにしっかりしていて、包丁で刻んでも「刃応え」があり、シャキッ、ザクッと、バッサリ切れます。葉の色が薄くても、艶がなく、しなっとしていて薄っぺらい腰の弱い野菜とはぜんぜん違いますよ。

それでは、なぜ作物は窒素を過剰に吸収すると不健康になるのでしょうか。少し難しい話になりますが、根から吸収した窒素をアミノ酸やタンパク質にするのに、余分なエネルギーをつかってしまうからなのです。せっかく葉を太陽に向けて、一生懸命に光合成(※1)をして太陽エネルギーを蓄えても、それを窒素の同化につかってしまうと、作物全体の維持に必要なエネルギーが不足してしまったり、肝心な養分、たとえばビタミン群などの合成もままなりません。収量を上げたり、大きくするために窒素をバンバンやった野菜は、図体がでかいだけで中身はあまり栄養がないということです。
(※1)光合成<こうごうせい> … 緑色植物がエネルギーを用いて、大気中から取り込んだ炭酸ガスを固定(有機物に転化)する過程をいう。そのときに水が消費され、固定された炭酸ガスとほぼ同量の酸素を大気中に排出する。

その点が有機栽培と慣行栽培の、つまり土が健康であるかないかの違いになってでてくるわけです。窒素の栄養素が腹八分目で育った有機栽培の野菜は小さくても中身の栄養価は確実にしっかりあるんだ、と思っていただいたらいいと思います。それが本当の育ち方なのです。

・白菜の黒いポツポツは、窒素過剰の印

ところで白菜の白いところに、ポツポツと小さな一ミリにも満たない黒点が付いているのを見たことはありませんか。それは適正な窒素よりも多い、過剰な窒素が土壌に与えられて、白菜の中の窒素分が多くなったときに出てくる現象です。苦味やエグ味が出てきます。

・本物の野菜は対称性があって見た目にも美しい … 葉っぱの形を見る

葉の付け根から葉の先のてっぺんまで通っている太い葉脈を主脈といいます。この主脈に沿って下から左右に次々と葉脈が均等に分かれていっているのが、正しい育ち方をした証拠で、主脈を折り目にして、左右を重ねてみると、左右対称形になるというのが作物の本来の姿なのです。

養分と水の通り道であるこの葉脈が、右・左・右・左と順になってでていればいいのですが、どれかが抜け落ちていて、右・右・左・右というふうになっていたり、クニャっと曲がっていたりすると、それはその葉が生長していくときに、根に何らかの障害が起こっていたことを意味します。また、葉っぱの左右どちらかが幅が広かったりするのは、養分のやり過ぎで、あるとき途中でぐっと生長したのではないかと思います。このように葉っぱを見ただけでも生育の仕方の履歴がわかるわけです。

・本物の野菜は対称性があって見た目にも美しい … 葉序を見る

作物が育って、葉が一枚ずつ出てゆくときの角度と順序は、作物それぞれに固有のものがあって、ちゃんと決まっているのです。これを葉序といいます。対称性について、これを見るのがもうひとつのポイントです。

葉序を見るときのコツは、根の方を手前にして軸を見るのです。こうすると、どういう順序でどのくらいの角度で葉っぱがついているかというのがわかります。

キャベツだったら、葉っぱが5枚出て、6枚目でようやく最初の位置にくるわけです。それまでに2回転するのです。だから360度を2倍して、それを5で割ったら144度くらいになるのです。で、健康に育った正常なキャベツだと、葉と葉の角度がほぼ144度くらいで、葉が順番に展開していくわけです。そういう意味でしっかりちゃんと育った野菜というのは、必ず対称性があって、見た目にも美しいのです。

軸を手前にしてキャベツの葉序を見る

・葉っぱを並べるときれいな放物線を描く

いちばん外側に付いている古い葉っぱから最後の小さな葉っぱまで順にバラバラに外して、それを葉柄の下端をそろえてから左から右へと一直線に並べてみます。するとだんだん葉の背丈が高くなってゆき、左側から3分の1くらいのところで葉っぱがいちばん大きくなって長くなり、その後はだんだん背丈が低くなってゆくはずです。この山のような輪郭を放物線といいますが、滑らかな放物線になるのが、理想的な作物の育ち方なのです。つまり健康で丈夫に育った命あふれる野菜の第一条件なのです。これは葉物類だけでなく、ダイコンやカブの葉にも当てはまることです。

さて、順に並べてもきれいな放物線を描かず、デコボコがある野菜は問題です。生育途中のある時期に過剰な養分が投与されると、その時だけ普通の生育速度よりも素早く生育することになり、その部分の葉だけが異常に大きく、背丈も高くなってしまうのです。異常に生長した部分が結局、二つ目の山になったり、山が一つであつても頂上付近が平坦になったりして、放物線が描けないのです。また根が傷つけられたりすると、その部分の葉だけが極端に短くなったりします。

並べてみるときれいな放物線を描く小松菜の葉

・維管束<いかんそく>の大きさがそろっていてしかも等間隔に並んでいる … 結球野菜の軸と葉物の茎の断面を見る

キャベツや白菜などの結球野菜の軸と切断面をよく観察すると、緑に近いところに、黄色みを帯びた小さな丸が緑色に沿って並んで一周しているのが見えます。この丸は、維管束といいますが、光合成でできた糖分がエネルギー源として葉から根にむかって降りてゆき、根から吸収された養分と水は地上部にむかって移動してゆく、細かいチューブなのです。

維管束は、人間でいうと血管に相当する重要な器官ですから、しっかりと丈夫につくられていなければなりません。しっかりと健康に育った結球野菜では、維管束の大きさがそろっていて、しかも軸のふちに等間隔で均一にきれいな円周を描いています。もし、大きさがそろっていなかったり、等間隔で並んでいない場合は、まともに育った結球野菜とはいえません。

こういうことが個々の野菜について全部いえるわけです。葉物の場合はどこで見分けたらいいのかというと、根と茎の際を切ると、その断面に維管束が緑の点となって並んでいるのが見えるはずです。結球野菜同様に、その大きさが違っていたり、等間隔に並んでなかったりすれば、それはまともな育ち方をしていないということです。

小松菜の葉の断面と大根葉の断面

・ダイコンに「ス」が入っているかどうかを見分ける方法
ダイコンの葉の茎の切断面を見て、中ほどに小さな穴があいていたら、そのダイコンは間違いなく「ス」が入っています。小さい穴がなければ、ダイコンはしっかりと充実しているはずです。

●前回の補足説明

・キャベツや白菜などの結球野菜は、有機栽培の方が小振り

チンゲンサイや小松菜、ホウレン草などの葉物の場合は、有機栽培の方が軸が太いのですが、キャベツや白菜では有機栽培の方が軸が小振りになっています。これはなぜかというと、キャベツや白菜の根系はものすごく発達していて、半径1メートル以上、深さも80センチ以上に達します。有機栽培では特にその傾向が強いと思います。こうして根系が発達した結球野菜では、軸よりもキャベツや白菜でいう「葉柄」の部分、すなわちいちばん太い葉脈のところに、しっかりと養分を蓄えています。軸の太い化学肥料の結球野菜は、単に肥料分で肥大したにすぎないのです。
反対に、チンゲンサイや小松菜、ホウレン草では、発達すべき根系の量が限られており、しかも吸収した養分を蓄えるべき葉柄の発達が結球野菜ほどではありません。そのために、軸が太くなるのだと思います。私の畑でそのような現象が起こりました。

〇なぜ、有機農業なのか

最後に、なぜ我々は有機農業をしなければならないのか、ということをちょっとだけ、これは私の考えですが、書いておきます。

太陽が宇宙空間に放射している光と熱エネルギーというのは膨大なものですけれども、地球に届いているのはそのうちのたった1億分の1です。その1億分の1の光と熱エネルギーが地上に降り注いでいる分だけが、我々が利用可能なエネルギーです。石油や石炭は別としてですよ。

その太陽の光と熱エネルギーを受けて、有機物を最初につくってくれるのは植物です。作物もですね。これらが光合成をして、酸素を出してくれなければ我々は生きていけません。我々だけじゃなくて、地球上の他の生物はすべて生きていけないのです。

その光合成が効率よくおこなわれるためには、土が健康で、その上に生える作物が健康であることが何よりも大切なのです。なぜかというと、作物が健康であれば、1枚の葉っぱでできる光合成の量は、不健康な作物とでは大きく違ってくるからです。

たとえば葉っぱが光合成をしようとおもったら気孔を開かなければなりません。そうすると水がどんどん飛びます。水がどんどん飛んだときに、根がしっかりと、飛んだ水に相当する分の水を土の中から吸い上げなければなりません。そのときに根にそれだけの活力がなければ、葉っぱは光合成できないか、水がなくなったら気孔を閉じてしまいます。そうすると光合成ができなくなるわけですね。

だからそういう活力のある作物が育つ条件を我々が整えられるかどうかなのです。そういう条件をつくるのは、化学肥料と農薬ではできない話です。健康な土を何よりも先につくって、その上に健康な作物ができることがまず大事なのです。たとえ量産できなかったとしても、それが我々の命を支えられるようなそういう作物であるべきだと私は思っています。

毎日かかさず口にする野菜が健康であればこそ、私たちの健康は保証されるのではないでしょうか。その健康な野菜は、化学肥料で過保護にすることなく、農薬を使うこともなく、太陽の恵みと雨と、そして何よりも豊かな命をはぐくむ土があってこその、有機農業でこそ、生産されるものだと、私は確信しています。

月刊ポラン2003年3月号より転載

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